考え方

金の卵を生むニワトリから学ぶ。感謝の気持ちを忘れ欲深さが招く悲劇

2020年2月6日


イソップ寓話が子供の教材として教えられているのは訳があります。それは子供に教える過程で大人がその内容を把握するということにあります。

人は教えるというアウトプットをすることで、より理解を深める脳の構造になっています。ですので実質子供に教えると見せかけて我々大人のための教材なのです。

今回の話は金の卵を生むニワトリから学びます。ここから学ぶことは初心を忘れない感謝の気持ちを忘れない欲は程々にです。

金の卵の物語

ヘルメスを熱心に崇拝する男がいたので、褒美として金の卵を生むにわとりを与えました。

毎日生まれる金の卵を町に売りに行くのでどんどんと裕福になっていきました。

裕福になるにつれて、その生活も慣れてきて、もっと金の卵を生まないものかと考えていました。そしてその男はニワトリのおなかの中に金の卵がたくさん入っていると思いつきます。そして思い立ったらすぐにニワトリを絞めておなかを切って、中を見てみました。

ところが金の卵が入っているわけもなく、そこにはただ肉があるだけでした。男は卵を得ることができなかっただけでなく、毎日金の卵を生んでくれるニワトリも失ってしまいました。

ヘルメスとはオリュンポス十二神の主神ゼウスの末子。ギリシャ神話に登場する青年神ののことをいいます。

参考
78金の卵を生む鵞鳥
岩波文庫 イソップ寓話集
訳 中務哲郎

金のたまご p90
世界名作童話集
イソップ物語

欲を出し過ぎると、それを手に入れるどころか今ある物すら失ってしまうという話です

人間の欲

本来欲というものは素晴らしいものです。欲があるから人は成長し様々な感動を味わうことができます。しかし、時として欲は悪い方向へ向かいます。それは欲を張ることで「もっと、もっと」という感情になります。満足することのないその欲は人を破滅へと導きます。

人はバランスが大切という記事を書きました。行き過ぎると必ず修正する力が働くのがこの世界です。

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程々にしていれば大目に見られることも、行き過ぎるとそれを打ち消す力が働きます。今回の「金の卵を生むニワトリ」という物語では、ニワトリを授けてもらい、貧乏だったのがだんだんと裕福になっていきました。金の卵を生むニワトリがいる前は裕福になることは考えてもみなかったことでしょう。ところがこの男は昔の事を忘れ、ニワトリを授けてもらった経緯と感謝を忘れ、更に金の卵を生んでくれるニワトリの事を有難いとも思わず、ニワトリを絞めてておなかを切ってしまいました。

さすがににこんなことはしないだろうと思っていても、程度は違えど人間にはよくあることです。例えば食べすぎや飲みすぎもそうです。食べるという行為はそのものの命をいただくということです。

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必要以上に食べたり飲んだりするから体も悪くなります。自分で体を傷つけておいて、やれ悪玉コレステロールだの活性酸素だのと言ったりします。LDLコレステロールや活性酸素は人体にとって必要なものです。LDLコレステロールに関しては、悪玉どころかこの数値が高い方が長寿であったり、心疾患の発生率が低くなるという研究データがあります。自分の事は棚に上げ他に問題をみつけようとする人間の性質が垣間見えるのと同時に、有難いという感謝の気持ちが薄いために出てくる問題であると考えます。

感謝とは
ありがたいと思うこと。ありがたさを感じて謝意を表すること。
引用:大辞林 第三版

金の卵を生むニワトリの物語のようなバカなことを自分は絶対にしないという人がほとんどだと思います。しかし繰り返しになりますが、これに似たようなことは日常茶飯事です。与えられたものに慣れてしまえばそのことを忘れ、与えてくれた人に対して感謝の気持ちも忘れ自分本位の行動をとってしまいます。

食べ過ぎ飲みすぎ例でいえば自分の体は与えられたものです。それを自分のものだから何をしたっていいんだと言って暴飲暴食を繰り返し体を悪くする。金の卵を得るどころか、それを生んでくれるニワトリまで失うことと被ります。

どんどん強まる欲

子供が生まれる前は誰もが緊張します。お父さんとお母さんは特にそうでしょう。わが子が元気で生まれてきてくれるか、それだけが望みです。健康でいてくれたらそれでいい。健康でさえいてくれたら十分だ、あとは何もいらない。そう思うものです。

ところがどうでしょうか。年月が経ち幼稚園、小学校になり隣の子より成績が良いとか悪いとか、クラスで何番だの、中学受験はどうだの、将来は医者にさせるとかどうするだの、親の欲望には限りがありません。当初の健康でいてくれたらあとは何もいらない。という思いは完全に忘れ去っています

当の親はというと、「子供のためを思って!」「子供が将来苦労しないように!」と必死です。はたから見ていると、本当に子どものためを思っているのかと疑問になります。子供は親の顔色を見て育ちます。親に嫌われたくない、その思いで必死に親の希望に添えるようにがんばることでしょう。それでも思い通りにいかないときもあります。その時はぜひ初心に帰っていただきたいと思います。

でなければ、得ようとするものが得られないだけでなく、今ある物すら失ってしまいます。この物語の男の様に。

これから先の未来の話

人間は万物の霊長といわれています。人類は文明を発達させ、不可能なことも可能なものにしてきました。

世界を震撼させるような感染症や病気は結果です。それが原因でいろいろなことに影響が出てきたと思っている人が多いです。しかし、あくまでも結果にすぎません。どこかのバランスが崩れ、それが結果として表れたものです。結果は新たな原因となりますが、結果の中に原因をみつけようとしても見つかるわけがありません。せいぜいその結果を抑える薬などを開発するくらいです。当然根本的な解決にはなりません。

人間も自然の一部です。それを忘れ有難いという気持ちを忘れ、物語の男の様な振る舞いをすれば、得ようとするものを得られないだけでなく今あるものも失うことになります。それを教えてくれるのが金の卵を生むニワトリの物語です。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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