今生きることができているのは誰のおかげですか?と聞かれたら皆さんは何と答えますか?生まれて誰の世話にもなっていないという人は存在しません。ですので様々な人が思い浮かぶことでしょう。しかし、存在その部分に焦点を当てると、大抵の人が両親の存在を思い浮かべます。今回は親の恩について書いていきたいと思います。
この記事で伝えたいことは、受けた恩は本人に返すことができないということです。なぜならあまりにも大きすぎるからです。時が違えばその人がいないこともありますし、親切などの行いは受け取る人がいて初めて成り立つ行為です。そもそも相手が必要としなければ、恩は返すことができません。まずは父母の恩を知ることが大切です。その上でどうすれば良いのか、少し詳しく見ていきます。
目次
痛みに耐えて生んでくれる
人は自分が感じた痛みは一生忘れません。陣痛から出産時の痛みは、スイカを鼻から出す様な痛みと言われています。男性であれば簡単に失神してしまう様な痛みだそうです。
今まで味わったことのない痛みに耐え、出産します。にもかかわらず、まず気にするのは生まれてきた赤ちゃんのことです。これは当たり前の事ではありません。普通は激痛が襲うと、自分の体が気になります。ところが子供を産む母親は違うのです。自分が味わった痛みや体の事はそっちのけで赤ちゃんを気にし、更に生まれてきてくれてありがとうと思うのです。
有難い気遣い
気遣いは、自分の命が尽きるまで続きます。
お腹の中にいるときは、赤ちゃんに危害が加わらないように、常におなかを気遣います。危険なことは出来るだけ避けるようにし、日々生活します。お腹の中に命が宿った瞬間から、気を遣う日々が始まるのです。
出産後も、赤ちゃんに食べ物や飲み物を与えるときには、それが安全な物かどうかを確認します。
乳をのませることから始まり、乳離れをした後も気遣いは続きます。もし熱いものなら、冷ましてから食べさせます。まずは自分で食べてみて、安全であるかどうかを確認します。ある程度成長するまで自分で食べることができませんので、食べさせることになります。ずっとつきっきりで、自分のことは全て後回しです。自分の時間や心を全て赤ちゃんに注ぐことになり、まさにその姿は命を懸けるものです。
夜中鳴くことがあれば、たとえ疲れていてもあやします。お腹が空いているのか、おしめなのか、原因が分かればそれを取り除き常に快適になるように気を付けます。どちらでもなく、何が原因なのかわからない場合でも放っておくことはしません。言葉が分からない赤ちゃんに話しかけ、なぜ泣いているのか必死なって考えます。赤ちゃんはその言葉を聞いて、言葉や愛情を覚えるのです。
自分の子供でなければ、ここまで尽くすことはできません。言語習得が早くなるのは、このためです。子供が勝手に育つのはある程度育ってからの話です。
1日中頭の中が自分の子供のことでいっぱいです。
大きくなるにつれて自分でできることが増えていきます。それでも気遣いは絶えません。
小学生に入れば、自分の子供は皆と仲良くできるだろうか、勉強はついていけるだろうか、健康診断があればその結果も気になります。学校から泊りがけの旅行にいくこともあるでしょう。その時は気が気ではありません。うちの子は大丈夫だろうかと心配になるものです。
中学に入っても心配が絶えません。皆と仲良くできるだろうか、いじめられてはいないだろうか。彼氏彼女はできたのだろうか、成績はどうなんだろうかなど様々な不安が出てきます。部活で帰りが遅くなれば、心配になったりするものです。
それは成人してからも続くものです。一人でちゃんとやっていけるだろうか、どんな会社に勤めるのだろうか、いつまでも結婚しないでいるといい相手はいないのだろうかとか、気遣いや心配事は絶えません。
気を使ったり心配をするということは目の前にいないのにその人の事を想うということです。どうでもいい人を想ったりはしません。それは大切な人だから想うことになるのです。それを考えると有難いことです。
自分の子供であれば汚いとは思わない
赤ちゃんのときは、おしめを換えることが必要です。汚物が自分の体についたとしても汚いという感覚がないものです。この感覚は自分の赤ちゃんでなければ有り得ません。見ず知らずの成人のおしめを変えることができるでしょうか。
小さい頃であれば嘔吐することも良くあります。体調が悪かったり、少しの食べすぎでも子供の体は危険から守るように敏感になっているため吐き出します。その後始末も小さい子供ではできないので親がすることになります。ところが特に嫌なことは思いません。これが見ず知らずの人の吐物であればどうでしょうか。かなりの抵抗があるはずです。何かに感染しないだろうかと思い、近づくことさえも遠慮したいところです。ところが自分の子供となればそうはならないのです。後始末をし、そして体の事を心配します。どれだけ有難い事でしょうか。
子供のためなら罪も犯す
わが子のためなら自分は罪人になってもかまわないとさえ思ってしまうものです。子供を守るため、家族を守るためであれば、人にも嘘をつき時には欺きます。それは何としても何に変えても守りたいと思うからです。
人によって罪の重さは違えど、大切に思うがために犯してしまうものです。
犯罪を犯すことは到底許されるものではありません。しかし、やるやらないの前に、罪を犯してまで守りたい気持ちは子供がいる全ての親が理解できるところです。
数々の恩は返せない
今まで両親から受けた恩は、いざ自分が子供を育てるときに初めて感じることができます。改めて、有難いことだと感じます。そして普通はこの恩を返したいと思います。もちろんそのことは大切です、しかし、あまりにも大きすぎて返せるものではありません。私たちにできることは、子供に同じことをしてあげることです。
Aという人から受けた恩はAという人には返せないことが多いです。なぜなら時が違うからです。恩を返せるくらいの実力を身に着けたときにはAという人が存在しない事もよくあります。更に、親切などの行為は受け取ってくれて初めて成り立つ行為です。恩を返したいと思う相手が、受け取る必要がなければ必要のないことになります。ですので、BやCという違う人に廻していくのです。決してギブアンドテイクではないことに気を付けなければいけません。
全てが巡ってます。この循環は、ギブアンドテイクや返報性の法則など人の感情を超越した自然の法則です。善い事もめぐっていきますが、悪い事も同じようになります。人にされて嫌なことはしない理由はここにあります。した相手から返ってくるのではないのです。巡り巡って全て自分に返ってきます。
もし自分で循環を断てば、二度と回ってくることはありません。恩を忘れず出来る事をするのと同時に、それを今度は生まれてきた自分の子供にしてあげるのです。