幸せの定義は人それぞれ違う。というようなことは皆さんも聞いたことがあるかと思います。そしてそう思っている人も多いと思います。しかし定義というのは意味や内容を区別できるように定めるもので、人によってコロコロ変わることはおかしいと言わざるを得ません。ですので、幸せの定義は存在しないことになります。
しかしある程度動かない指標みたいなものがあればいいと思うのですが、人はそれぞれ考えていることが違うため定まったものは見つかりません。ある時私はこれならある程度定まったものになるのではないかと思うことがありましたが、それは抽象的であったため結局は定義とは言えません。幸せについての共通なものを考えてみました。
結論を言うと幸せの共通事項は「安心」です。
目次
幸せの定義はない
幸せの定義について考えてみました。
具体性に欠ける抽象的なものは定義とはいいません。定義づけることができれば、周りから幸せという状況を確定することができます。抽象的なものであれば結局は本人がどう思うかで変わってきてしまうということになります。
定義がないということは明らかに周りから幸せそうな状況であっても、本人が幸せではないと思えば幸せではないということです。
しかし共通事項はあります。共通事項は冒頭でも書いたように安心です。
安心というものもまた人それぞれによって感じるところが違います。人それぞれで違うものは定義とはいえません。明確に区分できないからです。ですので、共通事項とします。
幸せと安心について
それではまず幸せというのはどういう意味かというと
幸せ
・運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。
・その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。
引用:デジタル大辞泉
この意味からだけで判断するのではなく、普段みんなが使っているものと乖離しないようにしなければいけません。
「お金があれば幸せだ」「健康であれば幸せだ」「人に愛されていれば幸せだ」ほかにもたくさんあると思いますが、ここでは三つに絞って書いていきます。
お金があれば幸せだ
これは本当によく聞かれる言葉です。
お金があれば幸せだということは、逆にお金がないと幸せではないということを意味しています。
お金というのは仕事の対価として獲得することができます。サラリーマンであれば時間に対して支払われるものです。時間は命そのものです。通常は命を消費して獲得するもの、それがお金です。
ところが好きなことをしてそれが仕事となっている人達がいます。そういう人達は命を消費しているという感覚はなく、うらやましいと思う人は多いのではないでしょうか。
仕事はできるだけ早い時点で楽しいことを仕事にするか、仕事を楽しいものにしなければいけません。
人は大嫌いな人にお金を渡したいと思うことはありません。逆に人は大好きな人にお金を渡したいと思うものです。お店であればこの人から商品を買いたい、といった感じです。お金というのは「人の心」ということができます。
お金があればある程度のものが手に入ります。逆にお金がなければ衣食住などの生活必需品が手に入りません。お金がなければ不安な日々を過ごすことになります。その不安な日々から解放されると安心が得られます。
お金があれば幸せと思うのは安心が得られるからそう思うのです。
健康であれば幸せだ
健康でありたい、と誰しもが思うことです。健康であるということは当たり前ではありません。そして健康を害して初めて健康のありがたさに気づくものです。健康であれば幸せだと思う人はおそらく健康を損ねたことがある人だと思います。
軽い風邪であったとしても長引けば健康が有難いと思うようになります。治らないとされる病気であれば、なおさら健康であれば幸せだと思うことでしょう。
健康ではない状態というのは不安が付きまといます。痛い箇所があれば、常にそちらに気を取られ精神的にもおかしくなるものです。いつになったら治るのか、重度の病気であればこのまま死ぬのではないかなどの不安がつきまといます。
健康であればそれらの不安が消えるということになり、安心につながります。
人に愛されていれば幸せだ
人に愛されていれば幸せだという人もいると思います。そもそも愛とは何なのかということはここでは省きたいと思います。
愛されるということは気遣ってもらえるということです。気遣ってもらえない状況から気遣ってもらえる状態になると安心します。
幸せについて迷わない
幸せを考えるにあたって、常にそこに安心があることがわかりました。これは非常に大きいことです。これを共通事項として認識することで迷わなくなります。「人は幸せになるために生まれてきた」ということは「人は安心を得るために生まれてきた」と言い換えることができます。
お金があっても幸せとは限らないということは、その人は結局お金があっても安心が得られなかったからと説明することができます。
安心であると感じたならば、それは幸せであると言えます。例えば家が落ち着き安心できる場所であるとなれば、それは幸せといってよいことになります。
また、不安を解消する行為が幸せに向かう行為と言うことができます。不安をなくすということは安心を得るということです。上に挙げた三つの例は反対側には常に不安があります。それがなければ安心になる、すなわち幸せという状態になります。
本来幸せというのはなるものではなく気づくものです。「これがない」「あれがない」とないことにフォーカス(焦点を合わせる)すると不安という感情しか起こりません。しかし同じ状況であっても、「これもある」「あれもある」、「これも出来る」し「あれも出来る」という風にあるものにフォーカスすれば安心が得られます。
ですので今の状態で幸せになることができるものです。幸せというものは常に安心とセットである。今日はそんな話でした。
まとめ
幸せの定義は存在しません。
幸せに共通するものは安心です。安心と感じることができればそれは幸せと言い換えることができます。
【幸せになるために生まれてきた】ということは【安心を得るために生まれてきた】と言うことができます。安心を手に入れることができたなら、それを大切にします。