考え方

友達は必要ない!無理に作る必要のない3つの理由

2020年1月11日


皆さんは友達と呼べる人はいますか?「いる」という人もいれば「いない」という人もいるかと思います。まず、そもそも友達っていったいどういう人のことを言うのかを見ていきます。

検索でこの記事にたどり着いた人はおそらく、友達がいないか少ないか、あるいは無理して友達を作って付き合いして、それに「うんざり」している方だと思います。

結論を言うと題のとおり、無理する必要はありません。無理することで確実に一人が不幸になります。その一人というのはあなた自身です。更に付き合う友達も不幸になる可能性があるため、何一ついいことはありません。

少し詳しく見ていきます。

友達とは一体何か

一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。
引用:大辞林 第三版

友達がいないと寂しいという人がいますが、それは考え方です。人はそれぞれ考え方が違います。寂しいと思う人もいれば寂しくないという人もいます。

もしその考えを押し付けてくるような人がいれば、おそらくその人も無理して友達付き合いをしているのではないでしょうか?「私がこんなにも無理して友達を維持しているのにあなたは、自由気ままでせこい!!」といううらやむ気持ちからきています。そういう人からは悲壮感が漂っているはずです。

友達を作る必要のない理由

友達を作る必要のない理由は3つ

  • 友達は作るものではなく自然にできるもの
  • 友達に時間を奪われる
  • 友達はネガティブオーラの元凶となる

ひとつずつ見ていきます。

友達は自然とできるもの

友達は自然とできるもので作ろうと思って作るものではありません。最近のSNSの世界では友達は申請して承認をもらわないとなれません。それはインターネット上の話で、現実世界では友達というものは本来自然とできるものです。幼稚園・小学生の頃を思い出すとわかりやすいと思います。自然と気の合うもの同士が集まっていたのではないでしょうか。

中学生までであれば無理して友達を作るという意味合いはあると思います。それにより自分が成長できるからです。それでもやはり無理して友達を作ったりということは必要ありません。

無理して付き合うと常に偽りの自分を出すことになります。これが嘘つきの始まりとなります。協調性という聞こえの良い言葉がこれを許してしまうのです。友達を作るときに自分に嘘をつくだけでは収まりません。そうして作った友達というのは、偽り続けなければ続かない関係です。最初に努力してしまったら、その人との関係は永遠に努力し続けなければいけません。自分に嘘をつく人はその感覚が麻痺してきて、そのうち他人にも平気で嘘をつくようになります

学校ではたくさん友達を作りましょうと教えられ、家庭では「友達は出来たの?」などと子供に聞き、必要のないプレッシャーをかける親も存在します。まるで友達がいないと悪いかのような教育をし、空気をつくります。

時間が奪われる

中学3年にもなればもう友達は必要ありません。

どうしてそこまで言うかというと、時間が無駄になるからです。時間は命そのものです。時間を粗末にする行為は、命を粗末にする行為と同じことです。「命を大切にしましょう」と教えておきながらその命を粗末にするように仕向ける学校という場所は、もう行く必要すら感じません。

小さいときはむしろ刺激となりいろいろなことが学べるため、たとえ気の合わない人であっても接することがあってもいいと思います。適度なストレスは成長には必須だからです。

しかし、年齢を重ねて自分のやることが明確化されたのなら友達は必要ありません。無理にはねのけるという意味ではなく、友達付き合いなどのような命を無駄にする行為をやめるだけです。もちろん楽しいのであれば付き合うべきです。楽しくもないのに無理してはいけないという話です。

時間が大切であるという話は小さいころから言い聞かせるべきことです。例えば遅刻をしたならば、力を入れて教えなければいけません。遅刻をして人を待たせる行為は、人の命を奪う行為になるからです。

1年後生きているという保証はありません。まだ若いからとか、年齢で死ぬことは決まりません。1年先とは言わず明日の命すらどうなるかわからないのに、友達を無理に作って苦行のような時間を過ごすのはもってのほかです。

自分を粗末にする人は他人の事も同じように扱います。「自分はこれだけ頑張ってるのに!」と自分の辛さを他人に強要するのが人間の本質です。逆に自分を大事にする人は他人にも同じように接することができます。自分を大切にしたいところです。

ネガティブのオーラをまとうことになる

中学・高校・大学・社会人と年齢を重ねるにつれて、文句や愚痴の数が多くなります。

対象は会社の上司や目上の人に対してです。直接言うことができないということもあるのか、なぜか友達にそれを吐き出してしまいます。そして友達も愚痴をこぼし、お互い傷のなめあいをするのです。

愚痴というのは無知の象徴です。

愚痴とは
仏教用語。愚かなこと。無知によって惑わされ、すべての事象に関してその真理をみない心の状態。
引用:ブリタニカ国際大百科事典

また愚痴や文句というのはマイナスのエネルギーを発します。それを聞いた友達と自分はその毒に侵され、しばらくマイナスのエネルギーを発し続けることになります。言葉は受け取らなければその人の物になりませんが、愚痴大会を開くと愚痴のオンパレードで自然と受け取ってしまい、負のオーラで包み込まれます。

良くないことにその一時は楽しいと思ってしまうものです。友達は集まれば少なからず愚痴が出ます。愚痴が出ないのであれば、それは友達ではなくこれから述べる同志や仲間ではないでしょうか。

友達ではなく同志(仲間)を大切にする

同志とは主張主義を同じくする仲間のことを言います。同志とはあまり聞きなれないので、以下仲間とします。

会社にいればみんなが仲間かというとそれは違います。社長や役員は同じ方向を向いていて仲間である確率は極めて高いと思いますが、末端の平社員は会社の理念とかそういったことはどうでもいいと思っていることが多く同じ方向を向いていないこともあります。

仲間というのは同じ目標を掲げ続けている限り、ものすごく強い絆で結ばれています目的や理念以外に関して例え考え方が違っていても寛容になれます。一方友達はそこまでの絆の深さはなく、ちょっとした考えの違いから口論になったり付き合うのをやめたりします。

今いる友達はこれからどう付き合えば良いか

無理して付き合う友達がいれば、必ず同調しなければいけません。本当は自分はこう思っているけれど、まぁ意見を合わせとこうかというような感じです。付き合いが悪くなるといけないから必要のない集まりに出かけたり無断な時間を過ごすことになります。そんなことをしている暇があれば本の1冊、数ページでも読んだ方がためになります。

人は日々成長します。成長すれば当然価値観や考え方がかわってきます。そして今まで付き合っていた友達との意見の食い違いがあらわれます。そうなればもうその友達とは付き合う必要はありません。それは冒頭でも述べた通り、最低でも1人が不幸になるからです。

まだ自分に心の迷いがある場合は、特に「さよなら」する必要はなくそのまま連絡のつかないように自然にしていればいいでしょう。頻繁に連絡を取ってくるような場合、相手はこちらを友達だとは思っていない可能性が高いためはっきりとお別れをするのもいいのかもしれません。その際はやんわりと角が立たないようにするのがコツです。

最後に

友達は大切であるという内容の記事を書いてみました。

友達がいることによるメリット的なことを書いてみました。改めて思うことは・・・

それでもやっぱり友達は必要ない。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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