考え方

争い事を極力避けるべき理由とその方法

2020年3月19日

殆どの人が争いのない穏やかな毎日を過ごしたいと思っています。しかし世の中には色々な人がいて、争い事が好きな人もいます。特に女性より男性の方がその傾向にあります。争っていれば生きている実感がわくというのです。日々の生活の中でそういう人達の巻き添えを食うかもわかりません。しかし、自分の争う土俵でないと感じたなら、争わない方向で進むべきです。

無駄に争わない理由は、自分の大切な譲れないものにエネルギーを注ぐためです。人はそれぞれ違います。エネルギーに満ち溢れたひとから、エネルギーの乏しい人まで様々です。エネルギーで満ち溢れた人であれば、毎日くだらない争い事をしていても、自分の譲れないものが来た時にエネルギーを発揮できることでしょう。しかしエネルギーの乏しい人ではそれは難しいです。

もう一つの理由は、自分にとって大切なものを見失わないようにするためです。自分の大切なものを見失うというのであれば、エネルギーが旺盛な人も争わないに越したことはありません。

少し詳しく見ていきます。

世の中どうでもいいことだらけ

世の中はどうでもいいことで溢れかえっています。自分にとってどうでもいい事でも他の人にとっては大切な事もあります。また、その逆もあります。なぜそういうことが起こるかというと、人はそれぞれ違うからです。顔や体格や性格などが違い、得意なことや好きな事嫌いなことが全て違います。やるべきことも役割も違い、その人にとって譲れないもの、大切なものはごく一部で後はどうでもいい事なのです。

人それぞれ役割が違っていて世の中が成り立っています。全ての人が同じことをしていたら回っていきません。会社も家庭も全てです。

少し例を挙げます

原発問題

例えば、原発問題があります。真剣に原発問題を考えている人は頭を悩ます問題です。そしてこの問題は日本だけにとどまらず世界を巻き込む問題で、ある意味大問題です。

しかし、はっきり言って私にとってはどうでもいい問題です。ですので原発問題はきにしません。大まかにどうした方がいいという自分なりの考えはありますが、四六時中考えるような問題ではありません。もし、四六時中考えるのであれば選挙に出て訴えるべきです。当選したら、寝ても覚めても考え問題解決に向け奔走することができます。選挙にでないでうだうだ考えることは意味のないことです。私たちにできることは原発賛成反対の是非などを選挙の時に票という形で意思表示するだけです。

原発問題を考える人にとって原発問題などどうでもいいという人がいると、「何をけしからん!」という話になるのでしょうが、それはその人が考えればいいだけの話であって私が考えることではありません。人それぞれ違い直面している問題や課題が違うのです。おそらく私が重要視している問題はその人にとってはどうでもいいはずです。

いちいち違うところに首を突っ込んでいたら、本当にやりたい自分の課題に取り組む時間もエネルギーもありません

東京オリンピック

最近の話でいえばコロナウイルスの影響で東京オリンピックが延期されるのかどうかなど、常にコロナウイルスことが取り上げられています。コロナウイルスの感染を予防することは大切ですが、これからどうなるんだろうとか、東京オリンピックは延期になるのかどうかとか色々な憶測が飛び交っています。

これも同じく私の問題ではないので、はっきり言ってどうでもいい話です。こういうことを言うと、「東京でオリンピックが開かれるのに、どうでもいいとはけしからん!」「日本人じゃないのか!非国民め!」などと言う人が出てきそうです。

しかし私がどう叫ぼうが、私が決めることではない以上どうすることもできません。当然この問題に関する自分なりの考え方はあります。ですが繰り返しになりますがこういう政治問題に首を突っ込むのであれば選挙に立候補して訴えるしかありません。私たちはただ普段から自分と考えの近い立候補者に投票してその後の活動を見守るだけです。

今回のコロナウイルスは予期せぬ出来事で、それに関する選挙はありませんが、自分が信じた政治家が正しい判断を下してくれることを祈るしかありません。なぜなら、私に決定権がないからです。次の選挙の時に私たちが審判すればいい話です。

それをあーだこうだいうのはエネルギーの無駄でしかありません。

世の中にこの問題を考える優秀な人がたくさんいます。その人たちに任せ自分は自分のやるべきことをしなければいけません

色々なことに首突っ込まない

基本的に争いから逃げるという姿勢で間違いありません。なぜ逃げるのかというと、余計なエネルギーを使わないためです。本当に自分が譲れない時に戦う時のエネルギーを貯めておくためです。逃げるというのはこちらが折れるという意味ではなく、そうならないように関わらないようにするのです

争い事が好きな人は、同じような人同士がぶつかり合いお互い怒りで満ち溢れる生活を送ります。

どうでもいいことはこの世の中意外と多いです。いかに余計なことに首を突っ込まないかが大切です。

本当に大切なものを見失う

人にはそれぞれ大切なものがあるはずです。それはものであったり、人であったり、環境であったり、様々です。

争い事をしていると必ず勝ち負けが存在します。争うことが好きな人は勝ち負けをはっきりとさせたがります。勝てば優越感に浸り、負ければ怒り憎しみにも近い気持ちがこみあげてくるのかもしれません。それらの気持ちは全てを焼き尽くす力を持っています。

怒りを良く燃え上がる炎のイメージをもちますが、そのかんじです。燃えるのと同時に自分に備わっている今まで培ってきたものや大切にしていたものまで一緒に燃えてしまいます。これは怒り狂った経験がある人にはわかるはずです。何も見えなくなるのです。そして当の本人はその事態に気づかないのです。なぜなら怒りというのは自分が正しいという気持ちから起こるからです。

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だから普段から無駄に争うことをしてはいけないのです。

一点に集中する

余計なことに首を突っ込むことをしなくなると時間ができます。エネルギーも持て余します。その時間とエネルギーを自分がこれだと思うものにぶつけます。

時には人と争うこともあるかもしれません。極力は避けるべきですが、自分の譲れない物であれば引くことはしません。そのために普段は余計な事では争わないのです。エネルギーがあればやらねばいけない時に戦えるものです。

後は、自分のやるべきことに一点集中します。

雨だれ石を穿つということわざにあるように、人はどれだけ弱い力であっても一点に集中すればある程度の結果を残せるものです。このことわざは例え雨だれの様なわずかな水の勢いであっても、長い間同じところに力が加われば硬い石にも穴をあけることができるというところからきています。

何かやるべきことがあるのであれば、余計な事には首を突っ込まないことです。周りを見渡せばどうでもいいことだらけです。

まとめ

無駄に争わない理由は自分の大切なことに使うエネルギーを無駄にしないためと、大切なものを見失わないようにするためです。

無駄な争いをしないためには色々なところに首を突っ込むことを避けます。

人はそれぞれ考えることが違い、役割が違います。世の中に存在する問題は全ての人トータルで考えれば意味のあることです。しかし、個人個人で見ればどうでもいい事ばかりで埋め尽くされています。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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