皆さんは目的や目標はあるでしょうか?ほとんどの人が何かしらの目的や目標を持っています。私もその中の一人です。ところがある時、本当にそれらは必要なのか?という疑問が頭に浮かんできました。その中で行きついた答えは、目的や目標は必要ないということです。
当然一概に全て必要ないということではなく、こういう考え方もできるということで捉えて頂ければと思います。
人生の目的や目標を持つ必要がない理由は、苦しくなるからです。苦しくなり、疲れ、自分を否定することに繋がるからです。
目次
目的と目標の違い
目的や目標はどういう違いがあるのか。
目的とは
1実現しよう、到達しようとして目指す事柄。めあて。
2〘哲〙 行為において目指すもの。それのために、またそれに向けて行為が行われ、実現が求められるもの。
引用:大辞林 第三版
目標とは
1そこまで行こう、なしとげようとして設けた目当て。
2射撃などの、的。
3目じるし。
引用:大辞林 第三版
目的は実現に向けて行為が行われること、目標はそこまで到達するために設置する中継点のようなものです。
例えば、車のカーナビで目的地を設定します。その目的地というのが正に目的です。そこに到達するまで左折や右折を繰り返します。適当に右に曲がったりしていたら目的地にたどり着けません。どこで曲がるのかという目印になるものが必要になり、それが目標となります。次の交差点を左に曲がるのであればその交差点を目印に直進していけばいいのです。その交差点が目標になります。
人生の目的や目標
人生の目標を学生のころに書かされたことがある人もいると思います。これは将来の夢と言ったりします。私は、小学生・中学生・専門学校生の時に書いた記憶があります。なぜそういうことをさせるかというと、目標を掲げて、それに向かい、邁進することでそこにたどり着けるというのです。小学生の頃はみんなプロ野球選手になりたい、プロサッカー選手になりたい、女の子ではケーキ屋さんになりたいアナウンサーになりたい様々なことを目標に掲げます。
野球選手を目標にしていればその先に目的があります。例えば、野球選手になってみんなに勇気を与えれるようになりたい、とかでそれが目的になるわけです。ただプロ野球選手になりたいというのであればプロ野球選手になるということが目的になります。
目標を決めたら現在に戻っていく作業をします。プロ野球選手になるには王道でいえば甲子園に出てドラフトにかかるということでしょう。ドラフトにかかるためには高校野球で甲子園に出場するのが一番可能性が高いです。甲子園に出場するにはその高校に入学しなければいけません。その高校に入学するのは推薦なのか一般なのか、推薦で入るための条件は何か、この様にどんどんと遡っていき現在やることを決めることになります。
目標を細分化して一つ一つクリアしていくやり方です。大体こんな感じで習いますし、いろんな自己啓発書を読んでもこんなところではないでしょうか。
ここで少しおかしい点があります。
それは上に挙げた様にどこかに行くための目的地設定などは分かります。しかしそれと同じように目標設定をするというのがおかしいのです。なぜなら人というのはいろいろな要素が絡み合って、その人を形成しています。そして人それぞれ役割が違い、それは自分の頭で考えることとは違うこともあるからです。
まず目標を達成するのに必要なことは、才能・好きである事・環境です。
才能が全て
才能で決まります。特に10代20代で活躍するような人は才能が全てです。これは、揺るぎようのない事実です。10年20年でいったい何ができるのかという話です。そもそも元から備わっているということです。普通の人が10やって10出来るところを100やってやっと10出来るようなものであれば確実にプロにはなれません。逆に1やって100出来るような人がプロになります。
体を使うものであれば、体が強いということも才能と言えるでしょう。すぐに故障していたら、何もできません。それも生まれ持ったものが大きいです。
頭脳を使うのであれば、IQや記憶力なども才能です。記憶力などは鍛えることで上達しますが、それでもやっぱり才能にはかないません。
それが好きかどうか
そもそもそれが好きなのか?という事も大切です。才能があっても鍛錬は必要です。才能のある人が長期間鍛錬することで、世界に名を遺す人になれるのです。「好きこそものの上手なれ」ということわざにもあるように、好きであれば何事も続けることができ、結果的に上達が早くなります。
環境が人を創る
周りの環境はその人を創っていきます。例えば、周りが愚痴ばかり言う人であれば自分も愚痴を言う人間になるし、周りが常に前向きで建設的な人であればそのようになるし、なりたい人のそばにいけばその人の様な思考や立ち振る舞いになります。
私の例でいえば、以前勤めていた会社では喫煙率が高く、自分も周りの影響でたばこを定期的に吸うようになりました。逆に今はそういう環境にはないのでやめることが出来ました。たばこに関していえば全く吸うメリットはありません。
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自分が環境に流されるのであれば、「あぁ、なんて自分は弱いんだ」じゃなくて環境を変えればいいだけです。仕事場であれば仕事を変えればいいし、住んでいるところに問題があれば引っ越しすればいいのです。自分が流されやすいのであれば、自分の思う理想の環境を作り上げればいいのです。
しかし子供に関してはなかなかうまくいきません。子供の時の環境というのはその子供の力だけではどうすることもできないからです。
目標を達成できなければ
人それぞれ役割があり、それぞれ違います。目標を掲げそこに邁進することは非常に素晴らしいことです。しかし目的に到達するため頭で細分化した目標が達成できないという事はあります。
目標に向かう中で、その行為が苦しければ、すべてが苦しいものになります。そして自分を責め、自分はダメだという記憶だけが残り、残りの人生を歩むことになります。
世の成功者たちは、美談として若いころの修行時代や大変だったことを、あたかも苦しいものとして話をします。本人がしなくても周りがそうします。それは人の心をつかむからです。昔は苦労した、でもその頃があったから今があるんだ。というような感じです。
しかし実際はどうかというと、ただ好きなことをしていただけといいます。好きなことをしていたらこんな感じになりました。ということです。もしそれをそのまま話してしまうとどうでしょうか。締りがありません。日本という国では協調性を大切にように学校教育がなされています。そうすることでコントロールができ、都合がいいからです。コントロールする中で、時には苦しい思いもしなければいけないと教え込むことが必要で、そこに利用されるのが成功者、歴史上の人物の美談です。
私たちはこれに騙されてしまい常に踏ん張って、苦しんで苦しみ抜く人生を歩まさせられているのです。まずそれに気づくことが大切です。全ての判断材料は楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか。これで十分なのです。そしてもう一つは今の事だけをやるということです。1分先の事は1分先にならないとできません。今できることを一生懸命やる。そしてそれは楽しいものでなければいけないということです。
目標を掲げることによってそこに向かうためだけに苦しい思いをすることは不幸な人生の始まりではないでしょうか。何者かになるという目標を立てるのではなく、今できることをしてその結果何者かになっている。これが自然の姿ではないでしょうか。
例えば医者になりたいとします。それは親など周りから吹き込まれるのです。医者になるためには学校の成績が良くなければ大学に入学することができません。そのために勉強をします。しかしその人は勉強が嫌いだったとします。目的達成のため嫌いな勉強をし続けます。結果現役で合格することができないとします。そうなれば全てが苦しみになります。
むしろ合格しなくて良かったと言えます。なぜなら合格すれば、医学の勉強をし続けなければいけないからです。それはこの人にとっては苦痛以外の何ものでもないでしょう。医者になっても勉強し続けなければ立派になれないため、そもそも医者を目指す時点で間違ってることになります。
例え医者になったとしてもそれが目的であったため、人を助けようということはなく、ただただ生活のための医業をします。患者にとって不必要なものを与え、保険点数を稼ぎ、ついには生活のため家族のためだからとそれを正当化するようになるのです。
目標は見つかるもの
目標に向かって邁進しているときはそれが「目標」と考えたりしないはずです。ですので目標も必要ないということになります。
大切なのはそこではなく、目の前の事や人を大切にすることであり、今目の前の事を一生懸命に取り組むことです。
目標というのは見つけるものではなくて見つかるものです。目の前の事を一生懸命やった結果自然と出てくるものです。とってつけたような目標を掲げると自分を苦しめることになるため目標を持つ必要はありません
まとめ
目的や目標を達成するためには目の前のことに一生懸命取り組むしかありません。それが苦しい物であれば、目標に到達したとしても更なる苦しみが待っているだけです。
自分が理想とする何者かに成るために邁進するよりも、目の前の事に一生懸命になった結果何者かになっていたというのが自然の姿です。一生懸命になれることはその人にとって好きなことですので継続することができます。そして、その結果何者かになり易くなります。
ですので目的や目標は設定する必要はありません。