ルールや規制というものは至る所に存在します。公共の場では言うまでもありませんが、会社や家庭、更には自分自身へのルールを決めている人もいます。これらのルールはなぜ存在するのか、守る必要はあるのか、またその理由は何かを考えてみました。
結論をいうと普段何気ないルールを守ることは大切です。なぜなら自ら成長するために課したルールを守るうえで精神上重要なものになってくるからです。
ルールは人をコントロールするためにあり、作った経緯を考えればおのずとメリットがみえてきます。
目次
ルールについて考えるようになった経緯
この前車で道を走っているときのことです。一台も線をはみ出すことなく信号を守って走っています。もちろん私も守って走っているのですが、もし1台でも線をはみ出して通行していたり、逆走する車があればどうでしょうか?対向車とぶつかったり、歩行者と接触して命に関わる事故につながります。
すごいと思うのと同時に、なんでみんなルールを守るのだろうという考えが湧いてきました。交通ルールを守る事は一見当たり前のように思いますが、本当にそうでしょうか。
ルールにも様々なルールがあります。
世の中(社会)のルール
上に挙げた交通ルールをはじめ社会にはルールがあります。それは法律や条例と呼ばれるものです。ここでは引き続き交通ルールで考えていきます。
交通ルールを守ることは当たり前とされていますが、それができていないから、悲しい事故がおこったりするのです。それを阻止するために厳しい罰則を科し、ルールを守れない人は車や自転車を乗れないようにします。
事故を起こし加害者になれば警察に捕まり、その後の人生が辛いものになります。被害者への弁済もあり、いくら償っても償いきれません。
一方で被害者は、たまったものではありません。身勝手な違反者のために、障害を負うことになったり、場合によっては命まで取られることもあります。
一つの事故で、当事者だけでなくその家族まで巻き込むことになり、不幸な人しか生み出しません。それをさせないために交通ルールが存在します。このように見ていくと、一見私たちのためにルールがあるように思います。しかし、元々は私たちのために存在するものではありません。
ルールを作るのは国です。ルールというものは必ず作る側にメリットが存在します。それはコントロールするためです。国にとってメリットがあるからルールを作るわけです。この場合は、事故を起こさないことにメリットがあるため、ルールを作ったり強化したりします。あくまでも、それに従う私たちはその恩恵を受けているにすぎず、元々私たちのためのルールではないという事です。
学校でのルール
学校では様々なルールがあります。校則と言ったりもしますが、髪を染めてはいけないとか、制服を着なければけないとか、バイク通学は禁止だとか、そういったルールがあります。それは誰のためのルールかと言えば学校のためです。生徒はそれを守ることにより恩恵を受けることができますが、それはあくまでも2次的な作用であり、本当のところは学校のメリットのためだけにルールが存在します。
例えば、髪を染めることを禁止していれば、学校のイメージに繋がり、良い意味でも悪い意味でも次に入学してくる生徒に影響してきます。現在は子供が少なく、国が運営していない学校は、生徒が入ってこなければ潰れてしまいます。ただでさえ子供が少ない時代ですので、どこの学校も子供の親に受け入れられる仕組みを作ろうとしています。それが様々なルールを作り上げていくのです。
自動二輪の免許は16歳からとることができます。自転車通学は許可されているけどバイク通学を許可する学校は少ないのではないでしょうか。バイク通学を禁止にするのも、学校のためです。事故など、何かあれば学校にも責任が及ぶからです。
会社のルール
会社の場合は社則とも言ったりしますが、これもルールを作る側にメリットがあります。例え会社のためではなく従業員のためのルールに見えても、巡り巡って会社にとってプラスに作用するようになっているはずです。
会社のルールは経営陣にとってメリットになるように、作られています。それをみんなが守ることで会社が活き、巡り巡って従業員にもメリットが出てくるものです。しかし先ずは会社のためであって、働く人達のものではないということです。
自分に課すルールを考える
自分にルールを課している人も多いと思います。それは誰のためかと言えば、もちろん自分のためです。今までの例からもわかるように、ルールを決める人が得をする仕組みになっています。
例えば、朝会社にいくのに電車を使わず自転車や徒歩で行くことをルールにしている人がいるとします。その人はなぜ時間のかかる、しかもしんどい手段で会社に行くことをルールとしているのでしょうか。
それは健康のためであったり、トレーニングをして体をシェイプアップするためであったりといった理由があるはずです。
本を一日一冊読むというルールを課しているとします。本が嫌いな人にとって見れば拷問のようなことです。しかし、それをルールにしている人はメリットがあるからルールにしているわけです。そしてルールにしないと、デメリットがあるからです。
人は易きに流れやすいものです。楽しい方、楽な方を選択しがちです。ルールにするという事は放っておいたらしないということです。楽でない事でもやるという事は自分にとって必要だと思っているからです。
自分を成長させるために課すルールを守れる人は一体どういう人かという事を考えたとき、それは、普段からルールというものに対してポジティブなイメージを持ち、守っている人であるということがいえます。ルールというのは先生や師匠そのものです。理想とする姿がルールです。
ルールが嫌になった場合の対処法
もし会社のルールが気に食わないのなら転職するか独立すればいいわけです。学校の校則などは入学する前からわかっている話で、気に入らなければ入学しなければよいだけです。もっと大きな枠でいえば、日本のルールが嫌であれば国を抜け出せばいいだけです。
嫌な環境に居ながら文句を言うという行為は、何も生み出すものがなく生産的ではありません。人生の時間は限られています。
自分で選んでおきながら文句を垂れ流すという行為は、はたから見ればエンタメでしかありません。黙って身を引いて自分のルールをつくるか、今いる環境のルールに黙って従うかの二択しかありません。
黙ってルールに従う場合、納得できればそれに越したことはありません。ルールはなぜそのようなルールが出来たのかを考えると、それを作った人の気持ちがわかり、理解できることもあるものです。ルールを作るには訳があります。それは作った本人のメリットになるからです。それが巡り巡って自分のためになるかどうか、それを考えるとルールを守る必要性があるかどうかも見えてくるのかもしれません。
文句は人を退化させることはあっても、成長させることはありません。成長しない人生は苦痛の連続です。
まとめ
ルールは作った人のメリットになるようにできています。
ルールに従わざるを得ない場合、出来るだけそのルールを納得することが精神衛生上好ましいです。なぜそのようなルールが存在するのかを考えれることで、ルールを理解することができます。
普段何気ないルールを守る必要性は、成長のために自分が課したルールを守るときに真価が発揮されます。ですのでルールは本質をみてメリットを見つけ守ることが大切であるといえます。