考え方

「出来ない」と「やりたくない」の違いを理解する重要性を解説します

2020年3月23日

出来ないとやりたくないという2つの言葉は意味が違います。しかし、私たちはやりたくないことを出来ないと言ったりします。出来ないことはやりたくないとは言いません。なぜやりたくないことを出来ないというのか考えてみました。

自分の発した言葉の違いを理解することで、自分の気持ちに気づくことができます。自分の気持ちに気づけば、エネルギーを無駄に使わずに済みます。本当に使わなければいけないところにエネルギーを使えるようになります

意外と自分で自分の事は分かっていないものです。少し詳しく見ていきます。

「出来ない」と「やりたくない」の言葉の違い

「出来ない」と「やりたくない」を理解するには「出来る」と「やりたい」を理解する必要があります。

出来るは辞書で調べるとたくさんの意味がでてきます。今回ここで取り扱うのは能力や可能性のあることです。

出来る
それをする能力や可能性がある。「ロシア語が~・きる」「~・きるだけ努力します」
抜粋:デジタル大辞泉

一方でやりたいという意味は

やりたい
ラ行五段活用の動詞「やる」の連用形である「やり」に、希望の助動詞「たい」が付いた形。
抜粋:日本語活用形辞書

自分の意志で好んでという意味です。

「出来る」が可能性や能力
「やりたい」が希望
です。

「出来ない」はこれらを否定することになるので可能性や能力がないということです。
「やりたくない」は希望しない、嫌だということになります。

出来ないを使う時

本当に能力がなくて出来ないを使う場合があります。例えば100m8秒で走ってくださいと言われたとします。(どんな状況だw)そしたら能力的に不可能ですのでその時は「出来ません」となります。やりたくても能力がないので出来ないのです。

しかし自分がやりたくない時でも出来ないという時があります。

めんどくさい頼まれごとをされたときに、
「今は出来ない」といったりします。

「じゃあいつならできるの」と聞かれたたら、
「そうじゃなくてずっと出来ない・・・」
要するにやりたくないということです。

仕事でもやりたくないという表現はしません。

取引先からの要求にこたえられない時、出来ないことはないはずです。決定権が自分にあれば、決断を下せば実行できます。本当は出来ないのではなくやりたくないのです。それを出来ないという風に表現します。もちろん、こんな簡単な言葉では終わらせませんが、やりたくないのにその言葉を使いません。

やりたくないを使う時

やりたくないという言葉を使う時はどういう時かを考えてみました。

やりたくないというのは、本当に仲のいい友達や家族など信頼できる人にしか使いません。

何か頼まれごとをされたら、「やりたくない」とはっきり言うことができます。なんなら「めんどくさい。嫌。」なども付け加えてやりたくないことを強調することさえあります。

争い事を避ける

なぜやりたくなくてもそれをそのまま伝えないのか。それは、相手の気分を害さないようにする配慮からきています。自分を悪く(無能だと)思われたくないとか、争い事をしたくないなども理由となります

言葉は争い事を避けるためにあります。

やりたくない事でも出来ないという表現にすると柔らかい感じになり角が立ちません。

やりたくないことを出来ないと表現することは、悪い事ではありません。なぜならトラブルを避けるうえでは必要な時もあるからです。

人は時には嘘も必要で、何でも本当のことを言っていたらこの世の中は争いだらけになります。そのために言語が発達してきたのです。全て本当の事だけなら、人類は言語を発達させずテレパシーの能力を発達させればよかったのに、そうしなかったのです。それは争い事を避けるためです。人が争い事で無駄に死ぬことがなく、その結果、人類は繁栄してきました。

嘘をつくことを推奨しているのではありません。人を傷つける嘘はよくありません。ただ時として嘘は方便になり得るものです。ですので例えやりたくなくても出来ないと表現するのは致し方ありません。

「出来ない」か「やりたくない」かを分かっておく

「出来ないのか」それとも「やりたくない」のかという事は自分で分かっておく必要があります。言葉として「出来ません」と表現するとしても、実際にどちらなのかという事です。

どちらなのかで、自分が相手の事をどう思っているのかが分かります。逆に言われる立場になれば、相手は自分の事をどう思っているかという事も分かります。

やりたくないけど出来ないというという事は嘘をつくという事です。嘘をつくという事はその人とは嘘をついてでも関係を保ちたいという事になります。逆に嘘をつかなければ関係を保ち辛いと判断していることになります。自分にとって大切ではあるものの100%信頼していないことになります

一方で、「やりたくない」や「嫌」などの気持ちをストレートに伝えれる相手ならば、自分にとってどうでもいい人か、または100%信頼している人という事になります。信頼していなければ自分が嫌われる恐れのある言葉を使うことはありません。自分にとってどうでもいいか100%信頼しているかは両極端ですが、どちらに当てはまるかは本人が考えればすぐに答えはでるものです。

信頼できる人の前では嘘をつかないのは、嘘をつくことはエネルギーを必要とするからです。エネルギーが必要だから出来るだけ本当のことを言いいたいのです。本当の事を言えばすっきりします。エネルギーを使うこともありませんし、むしろすっきりしてエネルギーに満ちてきます。

「出来ない」とこちらが気を使って、エネルギーを使って言っているにもかからわらず、しつこく要求してくる場合、こちらの事を軽く見ているため、絶対に受けることはしてはいけません。もし条件を飲めば時間をおいて必ず次の条件を提示してきます。例え家族の間であっても敬意を欠く行為は、お互いを不幸にしていくものであるため、注意が必要です。

嘘を言えば確実にエネルギーを使います。それは本当に必要なところに使うエネルギーを消耗しているかもしれません。

まとめ

やりたくないのに出来ないと表現するのは相手を気遣っているためです。

その相手は嘘までついて関係を保ちたい相手であり、なおかつ自分はその相手を信頼していません。信頼していないから、嘘をついて誤解を招くリスクを下げています。嘘は自分のエネルギーを消耗します。

やりたくないと言える相手は自分にとってどうでもいい人か、信頼できる人のどちらかです。

「出来ない」と「やりたくない」の違いを把握することにより自分の気持ちに気づき、本当に大切なことにエネルギーを注ぐことができます。

逆に言われる立場になった時にも、相手が自分の事をどう思っているのか判断することができます。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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