考え方

キリギリスはそこまで悪くない!童話アリとキリギリスに学ぶ

2020年1月1日


イソップ物語のアリとキリギリスは皆さんご存じの方も多いと思います。日本で子供たちに読み聞かせる童話としての解釈と、本来の物語の解釈は違います。これらを読んでいて私は2つとも何か違うと違和感を持っていました。2つの解釈ともう2つの解釈についてです。

物語は読む人によって、解釈が変わってくるところに面白さがあります。

アリとキリギリス

アリは食べ物のない冬を過ごすために、せっせと夏の間自分達の巣に食べ物を運んでいました。そのおかげでアリは冬を過ごすことができました。一方キリギリスはアリが冬の支度をしている横でのんきに音楽を奏でていました。更に一生懸命食べ物を運ぶアリに対して「君たちは働くしか能がないんだね。こんな暑い日に運ぶなんて馬鹿だな」「こんなに食べ物があるのに冬の用意だなんてはやいよ」などとバカにしていました。

冬になり食べ物がなくなり、キリギリスは困り果てます。ふとアリの事を思い出し、アリに食べ物をもらうことを思いつきます。

キリギリスに食べ物を恵んでもらえないか頼まれたアリは「夏に私に言った言葉を覚えているのか」とキリギリスにせまり、キリギリスはひたすらお願いするばかりでした。

参考
イソップ物語
著 田中豊太郎

日本で教えられる解釈

子供の時ににこの話は何回も聞いたことがあります。

「遊んでばかりいたらキリギリスのようになってしまうよ」と教えられます。
アリのように地道に頑張っていれば、例え厳しい環境になっても困ることはないという教えです。

小学生の場合夏休みの宿題をせずに遊び惚けていれば、新学期に近づくにつれ慌てることになります。先を見越して行動していれば、困ることもありません。

他の解釈

 
物語は上記のようにキリギリスがその後どうなったのかは書いていません。

一説によればこの物語には続きがあり、アリはキリギリスに食べ物を与えてキリギリスは生き永らえた。
更に食べ物をあたえて、ある程度太らせてからキリギリスを食べた。というものです。

イソップ物語その恐ろしい真相
著 五島勉

アリの生態上全く不思議ではなく、むしろそうであろうということです。
アリは自分よりも大きい弱った昆虫を捕まえて、餌をやり逃げないようにして徐々に体液を吸っていくという。体液が枯れたら体を食べるということをやってのけるのがアリです。

ですのでキリギリスが弱った時点でアリのところに食べ物をもらいに行くのは、すでに食べられてしまうことが決定していることになります。

・きちんと相手を見極める

・変化を敏感につかみ、対処して生き残る

・一度軽蔑した相手に助けは求めない

・生き残るためには最低の状況を想定して、対策する。現実に起こっても被害を最小限にとどめる対策をあらかじめ講じておく。

などの解釈ができます。

別の解釈

ここからは私の解釈です。2つほど上げます。2つ目が一番しっくりきています。

1つ目の解釈

物語の最終で、キリギリスがアリに食べ物をもらえず飢え死にしたと仮定した場合

これぞ自業自得という結末です。もしかするとキリギリスは少しでも手伝っていればアリから食べ物をもらえていたのかもしれません。ここでキリギリスは3つの罪を犯しています。
1.一生懸命やっているものをバカにするという人権をも犯す罪(人ではないが)。
2.無知という罪。世の中知らなかったでは通らないことは多々あります。
3.見殺しの罪。目の前で汗水たらして頑張っているのを見ていたら声をかけて手伝ったりするものです。手伝うことはしないまでも、声はかけるでしょう。それはもし自分が相手の立場だったらと考えることができる人間特有の心理です。当事者意識ともいいます。それをしないキリギリスは見捨てるという罪をおかしました。当事者意識があれば1.の罪を犯すこともありません。

その結果アリから食べ物を分けてもらえず死んでしまいました。アリも見捨てるという罪を犯していますが、これはこれでどこかで清算されることでしょう。

私の解釈はこうです

色々言ってくる人は放っておく。たとえ悪口をいわれても受け取らなければブーメランで発信者のもとにかえっていきます物語ではアリはキリギリスに馬鹿にされても争うことはしませんでした。ここが学ぶべき点です。

自分の蒔いた種しか刈り取ることはできません。放っておいて大丈夫なのです。放っておいた結果相手は困るのではなく、勉強するのです。困る前にアドバイスして救ってあげようなどと邪魔してはいけません。アドバイスをしても聞き入れることはなく、不毛な争いを生むだけです。放っておきましょう。

2つ目の解釈

そもそもキリギリスは冬を越しません

この物語を理解するため。少し調べてみました。
キリギリスの寿命は2か月程度で、冬を越すことはありません。
アリの場合メスは1~2年程度で、オスは半年に満たないない間に死ぬこともあるそうです。

これらを考慮すると、この物語は当たり前のことを書ていることになります。キリギリスは冬を越せないわけですから、冬を越す支度をする必要がありません。

一方女王アリの寿命は10年以上あるので、女王アリのために準備をしなければいけません。更に普通の働きアリの寿命は1年以上ありますから冬を越します。ですので冬の支度をして当たり前なのです。

物語はキリギリスがアリにご飯をもらいに行くというのがおかしくなりますなぜならその時には既にキリギリスは死んでいるからです

「こうでなければならない」ということなどこの世にはありません。
この場合キリギリスはどちらにしても冬は越せないのです。アリは冬は越せるため準備をするのは当然です。キリギリスは寿命を本能で悟っているから、今したいことをしているだけなのです。これの何がいけないのでしょうか

もし、私が余命宣告されて残り3日の命とします。そしたら仕事をせずに今自分のしなければいけないこと、したいことをします。これはいけないことなのでしょうか

確かにキリギリスはアリに対して侮辱しました。これは唯一必要のない余計なことで良くありません。しかしそれ以外は何も悪くありません。アリはアリで食べ物を自分たちのために運び、キリギリスはキリギリスで歌を奏でて自分の時間を過ごす。どちらも自分のために行動しています。もしアリがキリギリスのために行動していていれば話は変わってきますが、全て自分たちのためにやっています。

キリギリスはもともと冬を越さないためアリと比べようがないのです。ですのでキリギリスがアリのところに食べ物をもらいに行くことはあり得ません。そもそもアリもキリギリスも人間ではありません。それを人間と置き換えて解釈しようとする時点でおかしいのです。

私の解釈はこうです。

人はそれぞれ違うのだから、まずはそれを認めよう。それができれば「自分ができるから他人も同じようにできる」とか、「自分がやってるから他の人もやらなければいけない」とか、そういうことを押し付けてくるような発想はでてきません。

他を認めていないから、いろいろなことを強要したりしてくるのです。それは自分をも認めないことに繋がり、不幸の始まりとなります。皆が迷惑かけない中で妥協しながら生きています。他人に迷惑をかけることはいけません。しかしそうでないのなら、すべての人は認められるべきで尊重されるべきです。それは自分を尊重することにつながるからです。

だから修正を加えてこんな感じでどうでしょう。

アリ「やぁキリギリスさん奇麗な歌を奏でてくれてありがとう。おかげで元気がでて作業がはかどるよ。」
キリギリス「ありがとう。そういってもらえてうれしいよ。それにしても暑い中大変だなぁ。」
アリ「キリギリスさんは冬の支度をしないのかい?」
キリギリス「僕はアリさんと違って冬来る前に死んでしまうから、冬の支度をする必要はないんだ。だから今できることを精一杯してるんだ。」
アリ「・・・そうなんだ。キリギリスさんが奏でた音楽は忘れないよ!」
キリギリス「ありがとよ!あばよ!(柳沢慎吾風)」

こんな感じになればいい。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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