人はそれぞれ長所があれば短所もあります。そして短所があれば、それを克服しようと頑張ります。しかし、本当に克服する必要があるのでしょうか。今回は「短所は克服するべきではない」というテーマで考えてみました。
短所は克服するものでない理由は、短所をなくせば長所も同時になくなるからです。そもそも、本当に短所なのかということも考えなければいけません。短所だと思っている事でも、実は長所だということもよくあります。
少し詳しく見ていきます。
目次
短所と言われるようなこと
人は長所よりも短所を見つける方が得意な生き物です。それは短所と言われる部分が目立つからに他なりません。
短所とは
他のものと比べて劣っているところ。不足しているところ。欠点。
抜粋:大辞林 第三版
短所は一般的に良くないことを言います。
何をやっても続かない
何をやっても続かず3日坊主で辞めてしまうことを短所だととらえる人がいます。確かに、物事は継続して初めて成果が出るものが多いです。すぐに辞めてしまえば成果が出ることはありません。なので続かないことは短所であるといいます。
しかし、続かないことは短所ではなくむしろ長所です。なぜなら、続かないということは向いていないということを教えてくれているからです。これによって人生を無駄にせずに済みます。そして本当に続くことに出合った時に続かないことの真価が発揮されます。
何をやっても続かない人が、ちょっと続いてしまうものに出会った場合、それを大切にして離すことはありません。なぜなら、続くということがどれだけ難しいかということを分かっているからです。
もし、なんでも続いてしまう様な人であれば、続けることの難しさが分からないため、結局何が自分に向いているのか、何が大切なものなのかが分かりにくくなります。
続かないことは才能であり、長所です。短所ではありません。
整理できない
自分の部屋を整理できずに困っている人もいると思います。部屋がごちゃごちゃしていれば、時間が奪われます。鍵や財布をどこにやったか分からず、ごちゃごちゃの部屋の中を探し回ります。部屋の中が整理できていれば例え分からなくなってもすぐに出てくるものです。しかし物がごちゃごちゃしすぎると見つけるのにも一苦労します。
物を亡くすというのは管理の問題ではありません。部屋の状態は頭の状態です。部屋がごちゃごちゃしていれば頭もごちゃごちゃしています。忘れて当然なのです。
この様に整理できないということは、都合の悪いことが起こるため、短所だということが出来ます。
しかしこれも考え方で、短所ではなくむしろ長所になります。
簡単に言えば、片付ければいいのです。おそらく片付けると整理するを混同している人がいると思います。片付けるとは片を付ける要するに捨てるということです。
例えば親は子供に「出したおもちゃはきちんと後片付けなさい」といいます。しかしその片付けるは整理するという意味で、捨てるという意味ではないはずです。
整理できないのであれば全て捨ててしまえばいいのです。物がなければ、整理する必要はありません。そして物が少ないということはものを大切にすることに繋がります。
物を大切にするということは時間を使うということです。その物を使い込み、共に同じ時間を過ごすということです。時間は命の断片です。本当に大切なものには自分の時間を使います。物が多ければ、物に対する時間も少なくなり、大切にしているとは言えません。整理が上手な人はかえって物を大切にしていないことになります。
ということは整理が出来ないということは短所にはならず、むしろ物を大切にする人ということで長所になります。
字が汚い
字が綺麗ことに越したことはありません。汚いよりもきれいを方が読みやすいですし、その人の教養の高さを感じることが出来ます。逆に字が汚ければ、頭が悪く見えますし、何と言っても読みにくいものです。これだけ見れば確かに短所だといえます。
パソコンのない昔であれば、言葉を残すには文字を書くことでしか実現できませんでした。ところが、今はパソコンで文字を打ったり、動画で残すことも可能です。勿論全く書くことが必要でないわけではありませんが、昔よりも比重が低くなっており、そこまで不都合は感じません。
そして、字が綺麗な人は字が汚い人を下に見る傾向があります。自分が優れていると自慢したいのでしょう。人を下に見ると必ずどこかでその人を下に見る人が出てきます。これは不思議な話で議論の余地はありませんが、巡り巡って自分に返ってくるものです。文字を自慢する人はそれぐらいしか自慢できるものがないので、ある意味かわいそうなのです。
文字が汚いならば、パソコンを極めればいい話です。文字を奇麗に書けることと、パソコンを駆使できるようになるのとではどちらが今の時代の生き方にフィットしているかと言えば、パソコンを使える方でしょう。
パソコンが苦手であれば、動画で残せばいいのです。動画で残すとなると伝える技術が必要になります。その伝える技術は普段の仕事でも役に立つものとなります。今ではYoutubeなどに投稿して数多くの人の目に触れるチャンスもあります。
漢字も文字の変換で自動で出てきますし、意味も出てきます。もはや文字が綺麗な事は長所ではなく、変に人に対してマウントを取る道具として使われむしろ短所になるものです。
字が汚い人がゆっくり時間をかけて書く文字には説得力があるものです。それは字が綺麗な人には到底出せない味です。どちらが目立つかと言われれば、字が綺麗よりも字が汚い方が目立ちます。ですので字が汚いことは決して短所ではありません。
心配性な性格
何でも心配することは良くありません。現実に起こっていかい事でも妄想に掻き立てられて心配することは、本当に現実として引き寄せることになりかねないので良くありません。そしてその心配性な性格が短所だという人もいます。
ところが、心配性を指摘する人はどういう人かというと、一言でいえば能天気で現実をみない人です。人は困難に遭遇したときにまずは現実を見つめなければ前にすすむことは出来ません。そんな時に、あまり気にしなければ、困難を乗り越えるどころか、現状が把握できていないため、どんどん困難に遭遇することも考えられます。
その点心配性の人は現実を見つめることに長けています。現実から未来を見る力があるから不安になるのです。未来を予知できる能力が有ることは素晴らしいことです。心配であればそれを解消する行動をとればいいだけです。
例えば地震がくると不安であれば、地震が来てもいいような家に引っ越すとか、保険に入っておくとか、周りを奇麗に片づけておくなどの対策をすることが出来ます。
最近はコロナウイルスが世間を騒がせていますが、感染するのが心配な人も多いはずです。であれば、感染しないような対策を考えて講じればいいのです。心配するということは人間が生き延びてこられた本能的な部分です。そこを否定することは人間自信を否定することになり良くありません。
未来を見通せる力があるのは素晴らしいことです。ですので短所ではありません。
短所を直そうとすると
短所を克服しようとするとどうなるでしょうか。短所を克服しようとすることで、必ずデメリットが生じてきます。大切な物は何なのかを判断し、克服する必要はあるのかを考えます。
続かないものを無理に続かせる
続かないものを短所と位置づけ克服しようとすれば、無理矢理続けることになります。その精神状態は大変ストレスのかかるものになります。
人は嫌なことをすると、他人にも同じことを強要する性質があります。「自分がこれだけ頑張ってるのに、楽しんでいるなんてせこい!」「もっと自分を分かってほしい!」という思考になり、他人を大切にすることができなくなります。他人にきつく当たったりすることは良くないことだとみんな分かります。であれば短所を克服しようとすることは良くないことだと言えます。
整理できないことを直そうとする
整理できない人が、無理に行うと、余計に頭のなかがゴチャゴチャなります。ただでさえ部屋が整理できなくて頭を使っているのに、整理しようとして更に頭を使うようになります。整理することは、物の量が減っていないため、ごちゃごちゃ具合は変わることはありません。
人はそれぞれやるべきことがあります。そのやるべきことは人によって違います。例えば会社でいえば社長と一般社員とでは、やることが違います。
本来頭を使わなければいけないところに使うことが出来ず、やらなければいけないことが出来なくなります。自分のしなければいけないことが出来なくなるのはデメリット以外何物でもありません。
ですので整理しようとせず、全て捨ててしまえば良いのです。捨ててしまえば整理する物自体が無くなるため、全てが解決されます。ですので無理に克服することは良くありません。物を捨てる事に気づかせてくれているわけですから、それを実行します。
字が汚いことを直そうとする
字が汚いことを直そうとすれば、かなりの時間がかかります。そして楽しくなければ続けることが出来ないので結局字が汚いままになります。そもそも字が綺麗であることは、小学生ぐらいでほぼ決まっているものです。字が綺麗な人は苦労などしていません。苦労して字が綺麗になった人ほど字が綺麗でない人を馬鹿にするものです。人を馬鹿にする行為は、人と場所と時間を変えて必ず自分に跳ね返ってくるものです。
そして字が汚い人が綺麗に書けるように練習して汚いままであれば、自分は出来なかったという経験が残ります。本来字が汚いことは素晴らしい事なのに、わざわざきれいに書けるように練習して、自分をダメ認定してしまうのです。
ですので、字が汚いことを克服しようとすることは良くありません。
心配性な性格を直そうとする
性格は変えようと思っても変えれるものではありません。元々備わったものです。自分に備わったものを直す行為は自分を否定することになります。
無駄に心配することは良くありませんが、心配するということは現実を直視し、未来を見つめる力がある証拠です。その不安を解消する行動を取れば済む話です。
無理に心配に思わないでいようとすることは現実を見つめていないことになり、物事を解決する機会を奪います。ですので心配性な性格を克服することは良くありません。
まとめ
短所と言われているものは同時に長所であることが多いです。
短所を克服しようとすると、良い面まで消えてしまうため良くありません。
短所だとされている部分を自覚し、それを生かすことを考えます。