ブログを始めて100記事に到達したので、一旦一区切りということで分かったことを書いていきます。
毎日投稿することで良かったことは、文章が以前より書けるようになったことと、ネタを探すため、全ての事が新鮮で興味深く感ることです。子供の頃を思い出し、一言でいうと楽しいという感覚です。
毎日投稿で悪かった点は、時間に追われることです。限られた時間で作らないといけないため、誤字や文章がおかしくても気づかずにアップすることもありました。「やらないと」という義務感のようなものもめばえ、楽しいと思う反面そういう感情になると辛いこともありました。
少し詳しく書いていきます。
目次
ブログを始める
ブログを始めた目的は色々ありますが、その中の一つに文章が上達したいという思いがありました。私の場合は昔から本を読んでこなかったことと、文章を書いてこなかったので、何かを書くときに全く書けないという事が度々ありました。本を毎日読むようになって、自分もちょっと書いてみたいなというのが始まりです。
当然すぐに書けるわけもなく、少ずつ練習して1000文字くらい書けるようになってからスタートしました。書く内容は自分の興味がある事のみです。条件を付けると全く書けなくなるからです。
100ページに到達して、最初の頃よりは格段に書くのが早く、自分の感じている事を文章にしやすくなってきています。もちろん、まだまだ文章は幼稚で、誤字もあり読む方にとっては読みにくいとは思います。しかし最初の頃に比べたらかなりましになっています。
そもそもなぜ書きたいと思うようになったかというと、極少食という著・ルイジ・コルナロの本で執筆こそが社会貢献であるというような内容を読んだからです。本というのはその人の人生を変える力を持っています。現在でこそ動画配信の時代になっていますが、今までは後世に何かを残すには文章で残すしか方法がありませんでした。
人間は想像力を膨らませる生き物です。目で見て耳で聞いてと五感をフル活用する動画よりも、文章で想像力を働かせるほうが、その人にとって良い解釈ができるという事もまた魅力のうちの一つです。
記事を重ねていくにつれ、同じような内容を書くこともあります。そういうことを書いているうちに自分の考えに気づかされることもあります。
毎日更新して良かったこと
冒頭でも書いたように良かったことは、以前よりも文章が書けるようになったことです。達人たちと比べると全然ですが、確実に進歩しています。
毎日更新することを否定する記事は数多くあります。その理由は検索でヒットしないからというものです。良い記事を書かなければgoogleから評価されず検索で上位を取れない。見られない記事は存在しないのと同じだ。ということで毎日更新を否定しています。
確かにそこに焦点を当てればそういうことになりますが、やらない事には上達しません。いくら良い記事を作ろうと思っても数をこなせない人が良い物を作れるとは到底思えません。
ですので、私同様初心者の人には毎日更新をお薦めします。どうせ新しいドメインでは誰も検索から見られることはありません。検索で評価されるには時間がかかるといいます。それはその間に実力を上げリライトしなさいという事なのです。
人はやらない事の理由を探すのが得意な生き物です。最初から答えは決まっているものです。答えが決まっていて、それを後押ししてほしいものを探しているのです。例えば、離婚したいと考えていれば離婚した人に意見を求めることでしょう。離婚した人はそれを後悔したくないため、離婚して良かったことを教えてくれることになります。
この様に人は他人に意見をもらう時、既に自分で答えを持っているものです。ブログを毎日更新したくない人は毎日更新するデメリットの部分だけを探すことになります。毎日更新したい人は毎日更新するメリットを探すことになります。
ブログの良いところは、動画とは違い書き直すことができます。あとからいくらでも修正できるのです。とりあえずたくさん書けるまでは、完全な質は求めなくてもいいと考えています。
また毎日書くという考えでいると、常に情報に敏感になります。年を取ると時間が経つのを早く感じますが、この3か月はめちゃくちゃ長く感じ、とても充実しています。小学生のころ、毎日が新しいことで埋め尽くされていて楽しかったころを思い出します。
毎日更新して悪かったこと
悪かったことは、時間に追われるということです。思ったことをうまく言葉で表現できないという苛立ちもあります。たとえ時間が遅れていても1日1記事のペースは守り、まとめてアップしたりします。
時間に追われるという事は忙しいという事です。忙しいという事は心を亡くすことですので良くありません。しかし人間は負荷を与えないと成長しません。筋肉でも負荷を与えるから成長するのです。時間に追われるという感覚は、日々の負荷により、最初の頃よりは少なくなってきているのも事実です。これもまた成長といえます。
記事の質が悪いのは実力だから仕方のないことで、悪かったことの中には入りません。数をこなせば確実に質が上がります。最初から質を狙う人は頭でっかちになり、結局その質も低くなるものです。
ただリライトは必要だと感じています。質が悪いわけですから、そのままずっと放置しておくことはあまり良いとは思えません。今後は昔の記事を見返して削除や統合したり、ボリュームを増やして細かく説明したりするものが出てくると予想しています。しばらくは更新よりもリライトに時間を割く方がいいのかもしれません。
毎日更新に魅力を感じなくなった時点で即中断するつもりです。
誰かの役に立ちたいという思い
人は生きているだけで誰かの役に立っています。そしてまた人の役に立とうとするものです。人の役に立ったと感じたときは、うれしい気持ちになります。
現状をみれば人生は人の役に立つことが目的となっているという事がえいます。言い切れる理由は、仕事にあります。人の役に立った報酬としてお金がもらえます。お金は人の気持ちをあらわらものです。お金を稼ぐために世の人は「ああでもない。こうでもない。」と試行錯誤を重ねています。そして晴れて高所得者となった方は税金も多額納めることになります。人に喜ばれた結果高所得者となり、更に税金でみんなのためにお金を使ってくださいと納税するわけですから、間違いなく素晴らしい人達です。
人に喜ばれるという事は何も自分を犠牲にすることではありません。「情けは人のためならず」ということわざにもあるように、人に行ったことは巡り巡って自分に返ってくるものです。
本を読んでも、全てがためになるという事はまずありません。大体1ページ程ではないでしょうか。最低でも一文章は自分にとって必要なことが書いてあるものです。このブログも、どこかの記事のどこかの一文が誰かの役に立てればこれ以上うれしいことはありません。引き続き伝える技術を磨くために書き続けます。