私たちは普段生きていて、効率を求めることは頻繁にあります。効率よく物事を進めることがメリットになるからです。一方で効率が悪いけども、なぜか自分の中で許されるものが存在します。今回は効率を求めるという事はどういうことなのかを考えてみました。
そうするうちに、効率を求めないものが大切なものであるという結論に至りました。その理由は自分にとって価値が高いからです。少し詳しく見ていきます
目次
効率よく物事をこなす
仕事でも家事でも、勉強でもなんでも効率よくこなすことが大切です。それは限られた時間しか生きることができないからです。一日24時間は全ての人に共通しています。
同じ時間を効率良く使わないと、いくら時間があっても足りることはありません。それは人生を無駄にするという事にもつながるため、日頃効率よく物事をこなすことは大切であると言えます。
仕事で効率を求める
仕事は効率よくする必要があります。単純作業や事務作業などは特に効率よくやることで時間を生み出すことができます。
例えば書留で送る郵便物があったとします。事務所から出て郵便局に行き、郵送の手続きをして事務所へ戻ってきます。今度は銀行に行く用事があり、銀行で用事を済ませ事務所へ戻ってきます。今度は昼食を買いに弁当屋さんにいって事務所へ戻ってきます。この場合は一回で済ませれば、時間の短縮になり、効率良くすることができます。
私であれば上の例は本当に必要なのかどうかを考えて、出かけないことを考えます。書留で出すのは本当に書留でないといけないのかどうか、銀行はオンラインで出来ないのかどうか、昼食であれば本当に食べる必要があるのかどうかなどです。時間が無駄になるので、場合によってはこれらは全て無しにします。
家事で効率を求める
家事に休日はありません。料理や洗濯や掃除などは、日々行うもので効率よくやることで時間を短縮することができます。食料品などの買い物などもまとめてすることで、頻繁にに買いにいかなくて済みます。
スーパーでは毎日きてもらうため、割引商品などを用意していますが、割引をしているからといって毎日スーパーを渡り歩いていれば時間の無駄になります。その時間があれば違うことに使う方がいろんな意味でお得と言えるでしょう。
数十円違う、まとめて買えば百数十円違うといって頭と時間をそちらに使うよりも、割引がなくても欲しいものをまとめて買って、余った時間を本当に大切なことに使う方が有意義と言えます。時間は命です。あなたの命は数十円の価値しかないのですか?と聞かれたらそれは違うでしょう。
ついでに何かをするという事は、効率を求めるうえで大切になります。料理であれば湯を沸かしてる間に、洗い物をするとか、コンロを2,3個使って同時に料理するとか。体を動かしているようで頭を動かしているのです。いかに時間を短くするかというゲームの様なものです。
勉強で効率を求める
学生の時だけが勉強するときではありません。日本では学生だけが勉強するイメージがありますが、勉強はむしろ大人になってするべきものです。人には知りたいという欲求があります。それは自分を守る事にもつながる本能的なものです。
大人になって勉強というと本を読むことがあげられます。本も数多く読むには効率よく読む必要があります。同じジャンルの本を一度に複数冊読んだり、目次を使いながら早く読んだりと効率よく取り組む必要があります。
学生の頃の勉強も同じように、一つの事を覚えるのではなく、それに関わるものを一緒に覚えることで、知識が定着しやすくしかも範囲も広がるため効率が良くなります。これは目の前のテストの事を考えるのではなく、比較的長い目で見る必要があります。
そういう風に考えていかに時間をうまく使うようにするかは常日頃みんなが考えるところです。そうして効率よく物事を進めていくものです。
効率を求めない物
効率を求める一方で効率を求めないものが存在します。普段効率を求めて行動している人が効率の悪いことに遭遇した場合、効率を求めるような行動をとります。しかし、効率が悪くても許されるものがあります。例えば家族や恋人、自分の趣味などです。人によりそれぞれ違いますが、これらは効率を求めることはしないはずです。
効率が悪くても効率を求めることをしない場合、それは気持ちがこもっていることになります。自分が効率が悪くても許せるものというのは価値が高いはずです。自分にとって価値のあるものだから効率が悪いことが起こっても許せるのです。効率を求めた瞬間それは作業となり、一気に価値は下がるものです。
密度の高いところは価値が低く、密度の低いところは価値が高いという話をどこかの記事で書きました。
高級な商品が平済みになって売られていることはありません。もし高級なものが所せましに置かれていたら、価値は低いものになります。値段が高いから価値が高いのではなく、物が少ないから価値があるのです。例えどれだけ安い物でも数が少なければ、それだけでそのものの価値は上がります。
最近はコロナウイルスの過剰な報道によって、店頭からマスクが消えました。インターネットでは通常の数倍の値段を設定しても買う人がいます。それは、数が少ないから価値が上がったのです。
良好な精神状態を保つ
少し話がそれますが、一時トイレットペーパーも店頭から消え、「いつの時代や!」
と突っ込みを入れたことは記憶に新しいです。トイレットペーパーも不足が続けば当然値段が上がります。おそらく今回のコロナウイルスの件で、この騒動が沈静化された後も、マスクなど現在不足しているものを引き続き過剰に買いだめる人が数多くでてくることでしょう。
この精神状態というのは、非常に良くありません。不安に支配され、今必要のないものを溜めておくことは良くありません。なぜなら無駄な物が周りに存在すると無駄な人が寄ってきて、無駄な時間を使うことになり、無駄な人生を歩むことになるからです。
本物に出合えば大切にする
効率を求めることが多い中で、効率を求めないものがあれば、それを大切にするべきです。なぜなら自分にとって価値が高いからです。そして、そこには心が通っているからです。逆に心を通わすべきものであるならば効率は求めないことです。効率を求めた瞬間価値が下がるからです。
価値が高いものは本物です。常にそれが本物か偽物かという事は見極めることが必要になります。本物の周りには常に偽物がまとわりついているものです。偽物が出るという事はそれは本物であるという証拠です。
簡単な例えをすると、お笑い芸人のものまねです。無名な人をものまねしても通じないため、ある程度有名な人をまねることになります。真似られるという事は真似られる人は価値が高いという事になり、それは本物という事になります。
常に世間に認められる人というのは、どこかでまねをされるものです。まねをした方が偽物で、そういう人が現れれば、本物であるという証です。
まとめ
普段効率を求めて生活していると、なんでも効率を求めるようになります。限りある人生を歩む中で、効率を求めることは素晴らしいことです。
しかし、効率が悪くても自分は許せるものが出てきます。それはあなたにとって価値の高いものです。
価値の高い本物を見つけたらそれを大切にします。