自暴自棄になりそうな時、何がそうさせるのかを考えてみました。
自暴自棄になる人は真面目で優しい人が多いように思います。何かがきっかけで自暴自棄になりますが、そのきっかけとなったものは絶望を味わい、自分を壊すほどの価値があるのかということを考えてみる必要があります。なぜならそれに見合うだけのものでなければ、自暴自棄になる価値がないからです。
この結論としては、きっかけとなったものの価値がなければ自暴自棄になる必要はないですし、価値があれば尚更自暴自棄になる必要はありません。どちらに転んでも自暴自棄になる必要はないということになります。
少し詳しく見ていきます。
目次
自暴自棄とは
自暴自棄は怒りとよく似たものがあります。
自暴自棄
思うようにならないために自分を駄目なものと思い、将来を考えない行動をとること。やけ。
抜粋:大辞林 第三版
怒りも自分の思い通りにならなかった時に湧いてくるものです。しかし、怒りはエネルギーを必要とします。一方で自暴自棄は意外とエネルギーを必要としません。
大抵の場合、先に何かしらの怒りが湧き起こります。そのあとエネルギーが少なくなった時点で自暴自棄となります。
自暴自棄で典型的なものは自分の体を痛めつけることです。例えば暴飲暴食などです。タバコやお酒を一気に体の中にいれ、自分を痛めつけます。受け入れがたいことを考えないようにするため、こういった行動をとります。
自暴自棄になる人の特徴
自暴自棄になる人の特徴は、真面目で他人想いな人です。しかし、同時に驕り高いところがあります。
自暴自棄になる前は怒りの段階です。怒りは自分の思い通りにならない時に起こるものです。人を思い通りにさせようということは出来ません。思い通りになるのはせいぜい自分位です。
思い通りにさせようとすることは、一見良い事のように思います。しかし、実現できない場合もあり、その時に怒りの感情に支配されます。
驕り高ければ、人に嫌われるため、何かをしようと思った時に協力してもらえないといったことが起こります。
怒りが起こる時点でこのことに気づけば、人を思い通りにさせようと思うことはなくなるため、エネルギーがなくなった時に自暴自棄にはなりにくくなります。
思い通りにならないことは普通
自暴自棄になる理由は、思い通りにならないという一点に尽きます。思い通りにならず怒りを超え、エネルギーが尽きたときに自暴自棄となります。
思い通りにならないその対象は仕事や学業などの物事や人などがあげられます。
物事が思い通りにならない
仕事や学業が思い通りにならないということは良くあります。理想に近づくように頑張ることは良いことですが、思い通りにならないことをいつまでも追い続けることは精神的に良くありません。
全ての事が比較されます。仕事では誰と比べて出来るか出来ないか、どの会社と比べて商品やサービスが優れているかどうかということが常に比較されています。
比較され劣っているとみなされた方は、頑張って優れている人をうらやんだりします。そして思い通りにいかない自分に腹が立ったりします。ところが、その優れているとされている方も、思い通りにいかないことが多々あるものです。「隣の芝生は青い」ということわざにあるように、他人のものは良く見えるものです。
人も思い通りにならない
人は特に思い通りにはなりません。人間は生まれたら100%死にます。人それぞれ寿命があり、いつ命が終えるのかということは普通は知る術はありません。自分の体でさえ思い通りにならない事がある程です。他人においてはもっと思い通りにならないものです。
こうして欲しいと思うことをやってくれないということも多々あります。それは、人それぞれ違い意思があるからです。ロボットではないため、思い通りには動きません。そこには常に感情で同意するものがなければ動きません。
このようにコントロール出来ない事だらけのなかで、思い通りにさせようとするのは無理があります。難しいことをして、結果無理であったことに対して怒りを覚えるということは無駄な事ではないでしょうか。
もちろん、感情的には思い通りにしたいわけです。ところが思い通りにならない。それは、もう仕方のないことです。
本当に価値があるのか
人は思い通りにならないということを書きました。次は自暴自棄になるきっかけの対象は、本当にそれだけの価値があるのかどうかを見てみます。
価値がない
思い通りにしたいその人というのは、本当にその価値があるのでしょうか?世の中どうでもいいものや人は多いです。今自分を揺れ動かしている相手は本当にその価値はあるのかどうかです。
人の場合自分が思い悩んでいる間も、相手は何も感じることなく普通の生活をしています。こちらが勝手に思い悩み怒り苦しんでいるのです。よくよく考えてみると自分にとってそこまで大切なものでないのではないでしょうか。
仕事などの場合、人には得意不得意があります。不得意な分野で比較され、頑張ったとしても大した成果は得られません。どうしても不得意な事でもやらないといけないことがありますが、成果が出にくいということは最初から分かっていることです。自分のうまくいかない事は自分にとって価値があるのかどうかです。
思い通りにいかないということは、そちらの道ではないということを暗に教えてもらっているのかもしれません。
これらのように価値がないのであれば、自暴自棄になる必要はありません。
価値がある
全てに関して言えることですが、周りで起こる出来事は全て自分の出したものが返ってきているだけです。例えば、人にやさしくされるのであれば、それはあなたが優しくしたからです。人にきつく当たられるのであれば、その原因になるようなことをしたからです。
人に価値がある
相手に価値がある場合、相手もこちらの事を価値があると思っています。その価値のある相手が何かの理由で自暴自棄になるきっかけを与えたのだとすると、その価値のある相手は自暴自棄になることを良い事だと思うでしょうか。
逆の立場で考えてみます。自分にとって価値のある相手が、自分をダメなものと思い、先の事を考えない行動、つまりは自分を傷つけたりすることを良しとするでしょうか。
良いわけがありません。なぜなら価値のある大切な人だからです。それと同じように相手も同じことを思っています。価値のある人であれば、尚更それがきっかけで、自暴自棄になる必要はありません。
物に価値がある
これは価値のある物に対しても同じことが言えます。
人と同様全てはブーメランで自分に返ってきます。物を大切にする人は物にも大切にされます。例えば、メジャーリーガーだったイチローさんは野球道具を大切にしていました。グローブ、バット、スパイクは常に磨かれていて、手入れされていました。物を大切にすることと一流のパフォーマンスが出来る事とは全く無関係ではありません。
バットやグローブ、スパイクなどは自分の一部となるものです。例えば足の指は自分の体一部です。足の指がそこまで大切でないからと切断すれば、速く走ることは出来なくなります。明らかにパフォーマンスは落ちるわけです。それと同じように野球用具を大切にすることは自分の体を大切にすることと同じです。
ですので、結果が出なくてもバットに八つ当たりすることは良くない理由がここにあります。速く走れないときに自分の足の骨をいちいち折るでしょうか?思ったところに投げれなかったからと言って自分の指を痛めつけたり、へし折るでしょうか?自分の一部となっている以上大切にすることが道理にかなっています。
大切にしたものから大切にされるということは、自ら自暴自棄に追い込み自分自身を粗末に扱う必要はないことを示しています。
仕事に価値がある
仕事で今まで積み上げてきたものが、思い通りにいかなくなり崩壊し、自暴自棄になってしまうこともあります。
仕事にするということは誰かの役に立っているということです。お金は人の役に立つと手に入るものです。それを繰り返し行えたということは、人の役に立っていた証拠です。非常に価値の高いものです。
それが何かのきっかけで思い通りにいかなくなり、どうでもよくなってしまうということはあり得る話です。しかし、今までお金を払ってくださった人は価値があるからお金を支払ったのです。価値があるとお互い認めあう、それを仲介してくれていたのが仕事です。
自暴自棄になることは、今まで大切にしてきたことを否定することになります。今はうまくいかない事でもこの先うまくいくこともあります。しかし、否定した時点で、先も否定されることになり、おのずと未来は思わしくないものになってしまいます。
ですので、価値があるのであれば、自暴自棄になる必要はないことになります。
自分が周りに与える影響
自分の与える影響は意外と大きいものがあります。目に見えないだけで、大切にすれば大切にされ、価値があると思えば相手も価値があると思うものです。
自暴自棄になることは自分だけのことで、周りに迷惑をかけていないと思うかもしれません。しかし、どこかしら不都合が起こってきて周りに影響し、最終的には自分に返ってくるものです。
もう一度自暴自棄になる前に、本当にその必要があるのか、価値があるのかどうかを考えてみます。
まとめ
自暴自棄になる人は、真面目で優しい人です。
自分を自暴自棄にさせるきっかけとなるものは、本当にその価値があるのかどうかを考えてみます。
大抵のものは、自暴自棄になり自分を粗末にする価値がないものです。
価値がある場合は、相手側も価値があると思っているため、自暴自棄になることを望んでいません。それを考えることができれば自暴自棄になる必要はないことになります。