考え方

人を批判してはいけない理由とは。批判と助言の違いなど

2020年1月6日


皆さんは人を批判したことはありますか?批判というとどうしてもマイナスのイメージがあります。でも私なんかはむしろ批判されたいと思っています。その理由は後にふれるとして、批判とはそもそも何なのか、なぜ批判するといけないのか、など見ていきたいと思います。

批判してはいけない理由は、全て自分に返ってくるからです。

少し詳しく見ていきます。

批判と助言の違い

まずは批判と助言の定義から見ていきたいと思います。

批判
・物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。
・誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
・人間の知識や思想・行為などについて、その意味内容の成立する基礎を把握することにより、その起源・妥当性・限界などを明らかにすること。

助言
役に立ちそうな言葉をかけること。また、その言葉。アドバイス。
引用:大辞林 第三版

これを見る限り批判のところにある事柄は助言にもなりえますし、逆に助言は批判にもなりえることがわかります。例えば批判のところで「良くない点を指摘し、あげつらうこと」とありますが、良くない点を改善すれば良くなるわけですから対象者にとって助言となります。

なぜ批判と助言を比べるかというと、「批判じゃなくて助言です。」とか「これは批判じゃないよ。君のために行ってるんだよ」という言葉を聞いたことがあるからです。これは良く対比される言葉であると思います。批判は悪い意味、そして助言は良い意味でとらえられるため批判していると思われたくないのだと思います

批判と助言の違いを3つ挙げてみます。

 1 

助言とは目上から目下に対してする行為であり、逆は成り立ちません。
また批判は目下から目上に対してする行為であり、逆は成り立ちません。

例えば会社の社長に助言する平社員などイメージできるでしょうか?あり得ないですよね。下から上に対してなされる助言は、助言ではなく文句や批判となります。

批判されるということはすでに立場が明白で、批判される側が格上で批判する側が格下になります。だから私は批判されたいと思っているのです。おそらく批判される時が来たら、「おっ。ついに来たか待ってました。」となるでしょう。

 2 

批判と助言の違いは受け取った側が感情の起伏があるか無いかです。ある場合は批判となり、ない場合は助言となります。

 3 

発信している人の感情が穏やかであれば助言となり、怒り狂ったものであれば助言にはならず批判となります。

これら3つを挙げても100%明確なものはありませんが、受け取る側がどうとらえるかということが最も大きいものになります。やはり言葉というのは受け取るために発信するものであるため、受け取る側の感情などが一番考慮されるべき事です。

全ては好き嫌いで決まる

会社であれば一般社員が上司や社長の批判をすれば、出世することは出来ません。なぜなら出世などというのは好き嫌いで決まるからです。もちろん全てではないにしろ、好き嫌いがかなりの割合を占めます。世の中好き嫌いで決まることがほとんどです。

会社同士の付き合いも好き嫌いで決まりますし、人の交流も好き嫌いで決まります。会社が繁盛するのは人に好かれた結果です。逆に会社が倒産するのはお客様や周りの人に嫌われ続けた結果起こります。好きであれば人はお金を払いたく生き物だからです。

批判された場合の対処法

批判は破壊しか生み出さず生産的ではありません。批判された人は憎しみなど負のエネルギーが生まれることが多々あります。憎しみとまではいかないまでも、落ち込んだり、思考が停止したりマイナスな方向に向かう場合が良くあります。いわれのない批判に真剣に耳を傾けてはいけません。批判は聞き流すか無視します。

少したとえ話をします。
人生生きていれば家にお客様をお迎えすることもあるでしょう。上司でも友達でも恋人でもいいです。その時にご飯のおもてなしをすることもあると思います。もしお出ししたご飯をお客様が食べなければ、そのご飯は一体だれのものになるでしょうか?

それと同じで言葉というものは、受け取らなければそのまま発信した人にブーメランで返っていきます。もしあなたが批判されたのなら、適当にあしらって無視しましょう。マイナスな感情が芽生えるのは言葉を受け取ってしまったために起こります。どうしても話を聞かなければいけない状況もあります。その時は今日食べる晩御飯でも想像しながら、無視すればいいのです。

「批判も受け入れないと成長できない」という声が聞こえてきそうです。確かにそれも一理あり、成長できるのなら受け入れればよいです。ただ批判というのはそれを発信している人の思考を押し付けるものであり、決して受ける側のためになっていないことが多い、ということが言えます。そして常に批判している人というのは全身から負のオーラがにじみ出ていますので、本来であればその人の近くによることも避けたいところです。

自分以外の第三者を常に批判している人にも近づいてはいけません。負のオーラ満載ですので、いつしかあなたも飲み込まれるかもしれません。

近くにいる人の影響を受けることはこちらの記事でふれています。どうせ生きるなら楽しく笑って生きたいものです。

批判する人になってはいけない

批判するという行為は自分が無知であるということを知らしめる行為となります。物事を知るから批判できると思われるかもしれませんが、それは全く逆です。無知がゆえに、文句を言ったり批判をしたり出来るのです。

後は実害を被るということです。上でもふれた通りほとんどの確立で発信した言葉が自分に突き刺さるからです。これが難しいところなのですが、時間差でやってくるのです。その時は良くても、何か月・何年・何十年後には必ず清算されます。もしその場で、清算されるならだれも批判などしなくなります。

これは悪事を働くのと同様、その時は何もないことが多いです。時間差でその行為や言動を帳消しにする出来事が起こります。そして、その時につぶやくのです。「なんで自分だけこんな目に」と。

人はまいた種しか刈り取ることは出来ません。「その人の事を想って言ってるんだ。」などと言いながら自分の意見を押し付けるのはやめましょう。人はそれぞれ違い、みんな妥協点を探しながらしながら生きています。法を犯しているのであれば警察に任せればいい話で、自分の意見を押し付けるのはやめるべきです。会社であれば批判するくらいならとっとと独立しましょう。それができないのなら、黙って働くしかありません。

批判するのをやめることができれば、簡単に批判を無視することができます。

誰も言う人がいないからといって自分が犠牲になることはありません。負のオーラ同士の人たちが勝手にやってくれますので、あなたが犠牲になる必要はありません。批判することで存在意義を示すのではなく、自分のフィールドで自分を示すことを考えてみます。

まとめ

批判は格下から格上になされる行為で、助言は格上から格下になされる行為です。

常に批判している人は負のオーラで周囲を覆いつくすため近寄ってはいけません。基本批判は軽くあしらうか、無視をします。

批判するという行為は無知であるという証拠です。自分が批判する側に回って犠牲になってはいけません。批判するために生まれてきたのであれば話は別ですが。

やっぱり楽しくいきたいところです。

  • この記事を書いた人

宮野 功次

1986年1月8日生 健康・生活に関する役立つ知識や情報を発信していきます。 鍼灸師・柔道整復師 /コメントいただけたら喜びます。

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