人は怠けることは良くないと分かっています。それは小さいときからの教育で培われてきたものです。しかし、それとは裏腹に、もっと休みが欲しいとか楽して生きていけたらと夢を見るものです。それは怠けることに他なりません。そして周りで自分の理想を実現している人を見るとうらやましいと嫉妬心を起こす人もいます。しかし、それは本当に幸せな事なのでしょうか。今回は怠けることはなぜ幸せでないのかという事を考えてみました。
結論を言うと、怠けることが不幸である理由は飽きるからです。少し詳しく見ていきます。
目次
怠けるとは
怠ける
1.すべきことをしないで無駄にすごす。
2.だらけている。なまぬるくなる。また、なまる。
3.元気がなくなる。
抜粋:大辞林 第三版
意味をみてみるとやっぱり良くないことが
わかります。
人は環境に左右されやすい生き物です。怠けやすいような環境にいれば、ついつい怠けてしまうものです。怠けることで幸せを感じることができるのであれば、それは推奨されるべきことです。しかし、実際はその逆で不幸になります。ではどうして自ら不幸を望むのかという事ですが、一瞬だけ幸せと感じてしまうからです。それを快楽と言います。快楽と幸せの違いをみてみます。
快楽と幸せの違いは、楽して得られるものか、ある程度の努力が必要かどうかの違いです。達人ともなれば、努力なしに幸せを感じることができますが、ごくごく限られた人達のなせる業です。
更に一瞬で終わるか、続くものかでも違います。快楽は一瞬であるのに対して幸せは続くものです。幸せだと思っていたものが長く続かないのであれば、それは快楽だったと言えます。
楽して得られるものは怠ける他でいえば食べることや寝ることなども当てはまります。食欲、性欲、睡眠欲などいずれも生きていく上で欠かせないものですが必要以上に求めると快楽となります。快楽の特徴は一瞬で終わることです。
怠けることは努力する必要がありません。そして一瞬でも心地よいと感じてしまうのです。それがついつい怠けてしまう原因となります。怠けてしまうと、後に待っているのは「飽きた」という感情です。
人と比べることに意味はない
怠けるという事を聞くと「それは良くない!」と否定しますが、楽して生きているような人を見るとうらやましいと憧れを持つのものです。
しかし人はそれぞれの役割を果たしているだけで、比べてどうとかという事はないはずです。
人にはそれぞれ役割がある
人にはそれぞれ役割があり、この世に必要のない人は存在しません。必要でないならば存在すらしていないはずです。必要ないように見えても、違う角度から見れば、全く見え方が違うものです。
それと同じように怠けているように見える人は怠けているように見えるだけで、怠けていないことが多いです。実際に怠けていれば不幸そうな顔をしていますので、分かりやすいです。
逆に幸せそうであれば怠けていません。怠けていれば飽きてきて嫌になります。嫌になれば幸せの雰囲気は漂いませんし、顔にも出てきます。
「隣の芝は青い」ということわざがあります。人は自分の物よりも他人の物の方が良く見えるという意味です。地位や名誉や財産が有っても体が不自由な人は、健康な体を求めるものです。健康な体があってもお金がない人は体を失ってでもいいからお金を求めます。人はないものねだりをしますが、今ある自分のものをみれば、それぞれ恵まれていることが分かります。
怠けることを肯定する意見に対して
怠けることを肯定する意見はあると思います。なぜなら人それぞれ考え方が違うからです。冒頭で小さいころから怠けることはいけないと教わったと書きましたが、実際に家庭や学校などで教わったことです。
教育というのは、生きる国で必要な知識を教えることです。正しいとか間違っているとか関係ありません。その理論で行けばあたかも怠けることが良くないと洗脳されてきたかのように思います。
働くことは国民の義務で、怠けていては国が滅びてしまいます。怠けることは良くないと洗脳することで、国にとってメリットがあります。
しかし、怠けることを戒めることに関しては私たちのためになっています。なぜなら怠けると飽きるからです。
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成長しない人生は不幸であるという記事の中でも書きましたが、飽きるということは嫌になるということです。続けることが嫌になる状態は不幸であると言えます。
まとめ
怠けることが不幸になる理由は、飽きるからです。飽きるとは続けることが嫌になる状態をいいます。
快楽は一瞬で終わり、幸せは続くものです。
怠けることが良くないと思っていても、ついつい怠けがちになるのは、努力を必要とせず一瞬の楽を受け取れるために起こります。