人は食べたものでできています。食べたものから栄養や気を吸収し、それを活動エネルギーとして生きています。食べることをやめるとエネルギーがなくなり、場合によっては命を保つこともできなくなります。しかし我々が口にする食べ物もまた生き物であるということは忘れがちです。食べるという行為そのものが、他の命の犠牲に成り立っています。
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生きるために食べる?食べるために生きる?
人は生きるために食べる。というのが本来の姿だと思います。
しかし現在はその逆で、食べるために生きている人が多いのではないでしょうか。食べるために生きているからこそ、必要以上に食べてしまうわけです。その結果動脈硬化・心筋梗塞・脳卒中・高血圧・糖尿病・脂質異常症などの生活習慣病になりやすくなります。
食べたいという気持ちは人間の生理的欲求ののうちの一つで、正常な現象ですが、暴走すると歯止めが利かなくなるのが快楽の落とし穴です。「もっともっと」という気持ちが、食べ過ぎにつながりやがて生活習慣病になります。人間は常に快楽に走る傾向にある生き物です。
「食べないとやってられない!」と言い、やけ食いしてしまう。食べると交感神経優位から、消化するため副交感神経優位となりリラックスできます。更に幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが分泌されます。そして食べることによってストレスがなくなり、快感を感じた記憶が頭に残ります。するとどうなるかというと、ストレスを解消するためには食べればいいという条件反射のような体質になり、食べる頻度や量が増えます。
ストレスというのは自分の考え方次第で、それを減少させたりむしろプラスにできたりするものです。ストレスで食べすぎるというのは本当に意味のない事です。
また食べることがかっこよく思う人もいるでしょう。例えばフードファイターなどの人たちがメディアに取り上げられ、食べる量や早さを競います。それを見た子供たちは憧れをおぼえ、まねをする人が出ててきてもおかしくありません。それは生きるために食べるということからは程遠く、命のありがたさを感じることもないでしょう。
そして3食しっかり食べないといけないという日本の教育などで、うまく洗脳し食べることに罪の意識を向けないようにしています。
教育=洗脳ということができますが、そもそも教育とは、日本人が日本で生きていくために必要な知識を教えることです。正しいか間違っているかは関係ありません。テレビ・新聞など、常に情報を発信する方には何か目的があるということです。それを発信するのは「なぜ、なぜ」と突き詰めていくと色々な気付きをくれます。
冒頭でも書いたように、食べるということは生き物を命を絶つことです。まずそのことをもう一度思い返せば、少しは食べ過ぎにならずに済むのではないかと思います。
食べる際のあいさつ
幼稚園小学生の頃に、食べる前には「いただきます」食べ終われば「ごちそうさまでした」。生き物に感謝して、自分の代わりに調理してくた人に感謝して、ありがとうという気持ちを込めて言うことを習いました。
こういう話をすると、「野菜しか食べないから」「肉は食べないから」という声が聞こえてきそうですが、食べ物はすべて生き物です。
生きているから成長します。生き物だから現在も存在しているわけで、生きていなければ種の保存はできずに絶滅しています。生きているから海の中で昆布はだしを出さないのです。「なんでだろー」と言ってる場合ではありません。
自己と外界との隔たりがある
エネルギーを生み出しそれを利用する(代謝)
外部からの刺激に対して適応する能力がある
子孫を残すことができる
などがあげられます。
私たちが口にしているもの、ほとんどが当てはまります。
命をいただく
命をいただくということは、「生」から「死」という過程をふむわけです。
牛豚鳥などは完全にイメージできると思います。食肉処理場などというオブラートに包んだ表現で、罪の意識がないようにしています。
人は仲間でないものの命を奪うことを何とも思わない生き物です。牛を育てている人は牛肉を食べる気にならない人もいます。競馬の騎手やオーナーは好んで馬肉を食べることはしないでしょう。毎日世話をしていれば当然の感情です。
そこには、仲間という気持ちがあるからです。
最後に
本来人間は生きるために食べる、ということもう一度思い出してみる必要があります。
どういう過程で今、食べ物が目の前にあるのかを考えます。生き物を食べていると自覚することで食べすぎは防げます。それによって生活習慣病などの病気にならず、無駄な時間やお金を使うこともありません。時間は命の断片です。食べているものは生きているんだ、生きていたんだと思うだけで、感謝の気持ちがでてきます。命を気遣う心が自分の体(命)を健康に維持することにつながります。